👆 僕たちは勝手に、これはツバキだ、
というアイデンティティを花に与えている
地球では、というか、特に日本では、年齢と職業が、
その人の価値を計る上で大きなウェイトを占めている。
会社員、教師、運転手、弁護士、医者、公務員、など
この夢の世界には様々な職業があふれていて、
年齢が上がるにつれその職業内での経験値も上がり
その総合的な印象が、個人のアイデンティティとなる。
父親や母親という家族のアイデンティティなどもあるが
それも、この仕事をすることで一家を養っている、
というふうに、親と職業の価値はリンクしている。
もっと言えば、何をしてお金を稼いでいるか、が、
その人の価値を決める大きな判断基準になるのだ。
また、多くのスピリチュアルも、仕事上の夢を叶えたり
お金を稼ぐ上で生じる様々な問題を解決する方法論
を解くものであったりする。
かつて、僕のアイデンティティと言えば、
香港に駐在している国際管理部の星谷部長、だった。
まあ僕の場合は、
〝香港に居続けたい〟が最重要課題だったので、
肩書などはあまり気にしてなかったが、今思えば、
ありのままの自分では価値がないので、
自分ではない別の何かになって認められることで、
ある種の安心を得ようとしていたのだ、と分かる。
また、素の自分を殺して職務を遂行するうち、
本来の自分と職業上の自分との間のギャップが
大きくなり、そこから様々な問題が生じてきたりする。
それで、一旦仕事を辞めるのだが、今度は、
何も持たない自分が不安でたまらなくなり、再度、
同じような仕事に舞い戻ってゆく。(👈昔のボク!)
これが、この夢の世界に僕たちの意識を閉じ込めて
おくためのエゴの罠であり、このループはまた、
輪廻転生のループと同じカラクリで起こっている。
だから、夢から目覚めてこの世界を後にするには、
恐れからやっているループに気づくことが重要だ。
でも、この年齢になると分かるのだ。
どんなに人から称賛されるような仕事をしていても、
それらはすべて本当ではないのだ、と…。
その証拠に、
会社員で言えば、60歳になればただの人、である。
僕も仕事を離れて初めて、自分が思っている以上に、
職業的イメージで他人を判断していることに気づいた。
ただ、誤解を避けるために言うならば、
職業上のアイデンティティを手放せというのではない。
仕事に夢や生きがいを感じていて、
仕事をしている自分が大好きなら何の問題もない。
僕だって、やり尽くしたからこそこんな事が言えている。
だが〝職業〟の中に意識を閉じ込めようとする情動が、
エゴの罠だったことに40歳くらいで気づいていれば、
「これが俺の生き方だ!文句あるか!」と、
もっと恐れずに、もっと大胆に、もっと自由に、
自分らしい生き方ができていたような気がするのだ。
今からでも遅くない(かな?)。
自我男ではなく、兄貴側で生きるのだ。