香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

お偉いわたしが所有する

👆 〝八百屋とごはん あさだ〟で夜ご飯

 

僕達は、自分の両親、息子や娘、職場の上司や部下、

 

または、電車で乗り合わせた人や通りすがりの人、

 

はては、ペットや好きな歌手やネット上の人に至るまで、

 

それらを〝私が所有している〟とどこかで思っている。

 

そして、この所有の意識から苦しみが生まれている。

 

 

僕で言えば、

 

僕のクラスの生徒達は、僕が教えるべき生徒であり、

 

僕が受け持つ〝僕の〟生徒だ、という意識がある。

 

なので、

 

生徒が自分の言うことを聞かずに勝手なことをすると、

 

つい怒りがこみ上げてきて、厳しくあたってしまう。

 

また、別の例で言えば、家庭や職場の中で、

 

皆の期待に応えられないんじゃないか、

 

失敗してみっともない失態をさらすんじゃないか、

 

役に立てていないんじゃないか、または、

 

この人がいなくなったらどうしよう、というような、

 

常に緊張感や恐怖を感じたりするその裏にも、

 

私が所有している私の家庭や職場、が隠されている。

 

私の職場、私の仕事、私の家族、私の大切な人、

 

だ・か・ら、拒絶されるのが怖い、

 

だ・か・ら、失うのが不安、なのだ。

 

👆人気のおばんざい定食〝元気定食〟

 

しかし、実際には僕たちは何も所有できていない。

 

なぜなら、この世の全てのものは神に属しており、

 

当然、僕たちも神に所有されている神の子だからだ。

 

生徒達も、職場の人達も、家族も、大切な人も、全て、

 

神に創られた神のものであって自分のものではない。

 

にもかかわらず、この〝お偉い私〟が神の代わりに、

 

彼らを所有し、彼らを愛し、なんとかしようしている。

 

要は、神のものを奪って、自分のものにしているのだ。

 

 

私のもの、と言い張っているもの、例えば、

 

私の家族、私のお金、私の車、私の能力、を

 

本来の持ち主である神に返却する。

 

僕で言えば、自分の生徒だと思っていた兄弟たちを、

 

彼らは自分のものではなく、神に属するものだとして、

 

彼らを自分の心の檻から神へと解放してやるのだ。

 

兄弟たちを神に委ね、任せることで彼らを返すのだ。

 

👆家から歩いて5分くらいの場所にあり便利

 

先日、パキスタンの生徒が苦手、という話を書いたが、

 

そこには、自分が所有する生徒をちゃんと管理したい、

 

という欲求が働いていて、その思いを神に返すことで、

 

彼らは、僕ではなく、神に面倒を見てもらう存在となる。

 

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ペットが死にかけていようが(誰のことや!)、

 

娘や息子から何の音沙汰もなかろうが(誰や!)、

 

ダンナがどんなダメ出しをしてこようが(誰やねん!)、

 

彼らの面倒を見るのは神であり、自分ではない。

 

先に自分が神から奪って所有したので、

 

上記のようなことが起こるとモヤモヤ苦しくなり、

 

そこから、奪い返される、という恐怖が出てくる。

 

そこから、何とかせねば、という不安が出てくる。

 

 

あらゆるものを所有しようとする自分を認めて、

 

全ての関係性を神へと戻してゆく。

 

そこに永遠の平安がある。