今週金曜日からイースターの休暇が始まる。
去年に引き続き、今年も香港内で過ごす。
多分、家で一日中小説を書くと思われ、
自分が創った世界にどっぷりと浸りながら、
幸せな時間を過ごそうと考えている。
それにしても時間の経つのが本当に速い。
歳をとったから、とか、そんな悠長なものではなく
何から何まであっという間、
明らかに時間が加速していっているように思う。
時間と言えば、今に委ねていると、
時間が横軸ではなく、縦軸で感覚化されてきて、
全ての出来事が、今、この瞬間に、
同時に重叠しているように見えてくる。
あらゆる過去や未来の映像のスクリーンが、
眼前に織り重なって同時に存在しており、
たまたま一番前にあるスクリーンの映像が、
今見ている現実、みたいな感じになってくる。
こういう感覚は、
小説を書いている際によく起こったりする。
創造された物語の世界も、
この縦軸の中にある画面のひとつであり、
そこから、物語を抽出して表現している。
別の言い方をすれば、
僕たちが体験している現実も、
小説の中の架空の世界も、
縦軸に重なった無数のパラレルのひとつであり
どちらも同じものだ、ということである。
また、僕はあまり詳しくないのだが、
多分、引き寄せの法則なんかも、
これと同じ原理を利用しているように思う。
今、この瞬間にいて、
縦軸に重なっているパラレルの中から、
見たい映像に周波数を合わせることで、
その周波数の映像のスクリーンが、
一番前側へ押し出されてくる。
また逆に、
父が待つ故郷へ永遠に戻るために、
この〝今の縦軸〟を使うとすれば、
それは〝取り消す〟ために使われる。
今、この瞬間に在る神への抵抗を止め、
無限側に開きながら、神に気づき、
愛を感じながらハートの歓びを味わうことで、
その映像を真に無いもの、
と納得した上で手放すことができる。
重要なのは、起こっている出来事や映像を、
ただ去ってゆくに任せる、のではなく、
納得済みで去らせる、ことにある。
そうすることで、
取り消した映像に関連する別のパラレルも、
同時に癒され、消えてゆくのだ。