香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

いまの縦軸

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今週金曜日からイースターの休暇が始まる。

 

去年に引き続き、今年も香港内で過ごす。

 

多分、家で一日中小説を書くと思われ、

 

自分が創った世界にどっぷりと浸りながら、

 

幸せな時間を過ごそうと考えている。

 

 

それにしても時間の経つのが本当に速い。

 

歳をとったから、とか、そんな悠長なものではなく

 

何から何まであっという間、

 

明らかに時間が加速していっているように思う。

 

 

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時間と言えば、今に委ねていると、

 

時間が横軸ではなく、縦軸で感覚化されてきて、

 

全ての出来事が、今、この瞬間に、

 

同時に重叠しているように見えてくる。

 

あらゆる過去や未来の映像のスクリーンが、

 

眼前に織り重なって同時に存在しており、

 

たまたま一番前にあるスクリーンの映像が、

 

今見ている現実、みたいな感じになってくる。

 

 

こういう感覚は、

 

小説を書いている際によく起こったりする。

 

創造された物語の世界も、

 

この縦軸の中にある画面のひとつであり、

 

そこから、物語を抽出して表現している。

 

別の言い方をすれば、

 

僕たちが体験している現実も、

 

小説の中の架空の世界も、

 

 縦軸に重なった無数のパラレルのひとつであり

 

どちらも同じものだ、ということである。

 

 

また、僕はあまり詳しくないのだが、

 

多分、引き寄せの法則なんかも、

 

これと同じ原理を利用しているように思う。

 

今、この瞬間にいて、

 

縦軸に重なっているパラレルの中から、

 

見たい映像に周波数を合わせることで、

 

その周波数の映像のスクリーンが、

 

一番前側へ押し出されてくる。

 

 

 

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また逆に、

 

父が待つ故郷へ永遠に戻るために、

 

この〝今の縦軸〟を使うとすれば、

 

それは〝取り消す〟ために使われる。

 

 

今、この瞬間に在る神への抵抗を止め、

 

無限側に開きながら、神に気づき、

 

愛を感じながらハートの歓びを味わうことで、

 

その映像を真に無いもの、

 

と納得した上で手放すことができる。

 

重要なのは、起こっている出来事や映像を、

 

ただ去ってゆくに任せる、のではなく、

 

納得済みで去らせる、ことにある。

 

そうすることで、

 

取り消した映像に関連する別のパラレルも、

 

同時に癒され、消えてゆくのだ。

  

 

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とある違和感

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以前の記事でもお伝えしたように、もともと僕は、

 

今年の夏頃には会社員生活を卒業して、 

 

正式に日本へ完全帰国し、それからしばらくは、

 

日本でゆっくり創作に専念しながら、

 

台湾移住の準備をしようかなあ、と考えていた。

 

しかしここへ来て新たな展開が生まれつつある。

 

 

というのも、もう正式発表されたので書くのだが、

 

実は、現在僕が勤務する香港支社を、

 

完全クローズすることが決定されたのだ。

 

僕は去年の暮れにこの通達を受けていて、

 

それを機に、もう一人の日本人の同僚は退職し、

 

エドワードも4月一杯でリストラ解雇となる。

 

 (先月、本人にはすでに通知済み)

 

ただ僕は、銀行や税務などの残務整理のため、

 

8月ごろまで香港に残り、その後帰国して、

 

最終的には東京支社勤務となる予定だった。

 

だが、30年もの間、外国で暮らして来た僕が、

 

日本のオフィスの雰囲気に馴染めるとも思えず、

 

デスクをくっつけ、

 

互いに向かい合って仕事をするスタイルは、

 

考えただけで息が詰まりそうになり、

 

もう絶対にパスである。

 

なので、秋からは、会社員を早々にリタイアし、

 

あとは日本で、小説創作に没頭しながら、

 

自分100%の日々を過ごそう、と考えていた。

 

 

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香港支社はクローズされるのだし、

 

これを機会に会社員生活から脱け出し、

 

自分のために、やりたいことを思い切りやろう、

 

それに、香港ももう、昔の自由な香港ではない。

 

ここが潮時、生き方を変えるチャンスだ、と、

 

新たな展開にワクワクもしていた。

 

 

一方で、こうした計画に対して、

 

なんか訳のわからない違和感も感じていた。

 

なんだろう、今ではない、という感覚…。

 

最初、

 

会社を辞めることに恐怖を感じているだけなのか

 

それとも、香港を離れるのが名残惜しいのか、

 

と、自分の内側をよーく観察してみたのだが、

 

どうも、そういう類いの違和感でもない。

 

その証拠に、ドキドキや不安感はないのだ。

 

また、国境封鎖や隔離措置など、

 

コロナ禍で移動が極端に制限される中、

 

もう少し時期をずらした方がいいのかな、

 

とも思ったが、そんなことでもない気がする。

 

 

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今に意識を委ね、本当はどうしたいのかを、

 

内なる本質の自分である兄貴と見てゆく。

 

〝日本帰国、台湾移住は、今でなくてもいい〟

 

という想いが浮かんできた。

 

それは、流れに逆らって、

 

無理やり何かをしようとしている際に感じる

 

違和感だった。

 

 

でも、僕の帰任は8月と決まっており、

 

嫌でも日本へ帰国する手はずになっている。

 

それに今年は風の時代でもあり、自分としても、

 

今年中に、新たな一歩を踏み出したい。

 

しかし、本当の理由は分からないけれど、

 

あと半年から1年、帰国をずらしたほうがいい、

 

と、緩やかに止めが入るのだ。

 

 

じゃあ、香港で別の働き口を探すのか、

 

それとも、別のアパートを自分で借りて、

 

しばらく香港で小説創作をしてゆくのか、

 

しかし、

 

自力で香港のバカ高い家賃を払うのは、

 

まったく以って現実的ではない。

 

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あれこれ考えても、自分には何も分からない。

 

僕は、全ての抵抗をやめ、

 

今、この瞬間に委ねていることにした。

 

今、この瞬間瞬間に立ち顕れる神を味わい、

 

今、この瞬間瞬間に起こっている過程を楽しむ。

 

それが、

 

どんなに自分を動揺させることであっても、だ。

 

外側に対して何かをするのではなく、

 

内側の愛にフォーカスすることにする。

 

答えは、愛の反映である兄弟たちによって

 

そのうちきっと、もたらされると思うから…。

 

 

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スポ根奇跡講座!

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👆 家の近所のカフェで映画の撮影

 

 

これで、何度目か(?)の爆弾発言となる。

 

 

〝神は在る〟以前に〝私は在る〟である。

 

ただし、ここで言う〝私〟とは、

 

脳によって機能している肉体としての私ではなく、

 

背後側、無限の全体に在る私のことを指す。

 

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僕が何年も実践をしてきて明言できるのは、

 

自分(私)を他者に明け渡した状態で、

 

他者の目を気にして怯えている状態で、

 

神は在る、を真に〝智る〟ことはできない。

 

赦しを実践し、聖霊に委ねることで、

 

少しづつ神は在るに近づいてゆくのでもない。

 

そもそも他者を恐れている時点で神を恐れおり、

 

自分を責めている時点で、

 

自分はまだ、赦しや聖霊まで行っていない。

 

なので一気に〝神〟ではなく、

 

先ずは自分へ戻るところから、

 

一歩一歩やっていこうと決心をすることだ。

 

 

多くのコース兄弟は、

 

幻想である〝私〟を存在させることに

 

大きな抵抗を抱いてしまいがちだが、

 

本当は私だと思って嫌っていたものが神だった、

 

私を嫌っているように見えて、

 

本当は神を嫌っていることに気づけていない。

 

私は無い、私は幻想だ、とやればやるほど、

 

神は無い、神は幻想だ、とやっている。

 

 

私は幻想で、在るのは父だった。

 

従って、何はともあれ、

 

私が在る、に気づくことで、

 

在るのは私ではなく神だった、と気づき、

 

罪悪感も本当は神の想いの裏返しだったと知る。

 

そうやって、

 

神しか実存しなかったことが理解できて初めて、

 

世界も個の自分も幻想だったと体感できる。

 

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よって、全ての出発点は〝私〟からである。

 

私は在る、というのは、

 

今、この瞬間に在る神に気づき、

 

背後の無限の全体に開いて、

 

私側に愛と力が戻っている状態のことを指す。

 

私に優しく寄り添い、私に気づいている状態…。

  

そして、在る瞬間に、

 

「あれ?俺って、ひょっとして、神じゃね?」

 

となる。

 

 

だから、

 

たとえ、人をけなしても自分をけなすな!

 

たとえ、人を責めても自分を責めるな!

 

たとえ、人を否定しても自分を否定するな!

 

 

なにぃー?できないーっ?

 

だめだ、だめだあーっ!そんなことで、

 

父が待つ故郷へ還れると思っているのかぁーっ!

 

『アタックNo.1』の鮎原こずえで行くのだ!

 

『エースをねらえ!』の岡ひろみを見習うのだ!

 

日本男児、大和なでしこ、

 

何が何でも、根性で終わらせるのだ!

 

 

👇 更新したよ!shusaku1.hatenadiary.jp