香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

反転して生きる

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もう完全に、見えない背後側の世界(内面側)が

 

リアルで実質的なものとして機能し始めている。

 

一日のほとんどの時間を背後側で過ごしている、

 

と言っても過言ではなく、人と話している最中も、

 

仕事をしている時も、食事をしている際も、

 

ずっと、背後で愛(神)を〝感じて〟生きている。

 

 

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うまく説明できないが、誰かと話している時、

 

表面上は肉体同士が言葉を交わしているが、

 

僕の場合、背後と背後で会話し合っている。

 

たとえ電車で隣り合わせただけの相手であっても

 

背後同士で言葉ではない会話をしている。

 

また、仕事中も〝後ろ側〟からPCを打っている。

 

特に、小説を書いている時はすごくて、

 

今この瞬間に在る物語の中へとダイブし、

 

そのパラレルで生きている登場人物に

 

意識をチューニングさせながら書いている。

 

 

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なんかもう〝あっち〟に逝ってしまっている。

 

内面と外面がひっくり返ったような感じ…。

 

心の中のほうが、

 

僕にとってはすでに外界となっている。

 

 

心の中で起こっている事の結果を、

 

外界に見ているような感じなので、

 

イジるのは見えている世界側ではなく、

 

背後側だということが当たり前になっている。

 

 

👇 久々に更新しました!

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夢を味わう

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今日は、エドワードの長年の慰労を兼ね、

 

昼休みに二人でヤムチャに行ってきた。

 

本当は、僕が住んでいるコーズウェイベイ辺りで

 

ビールでも飲みながら晩飯を食いたかったが、

 

彼が国境付近の辺境に住んでいるので、

 

帰りが遅くなるのも大変かな、と飲茶にした。

 

 

社長からは、一万円以上ご馳走してやって下さい

 

と言われていたが、蒸籠の点心や料理だけでもう、

 

二人では食べきれず、腹がパンパンになり、

 

最後は、ハアハア言いながら事務所へ戻った。

 

やはり、ヤムチャは大勢が一番だ、と、

 

改めて思った次第である。

 

 

鉄観音を飲みながら、二人で台湾移住や、

 

将来のことなどを、あれこれ話した。

 

彼はすでに、来年の旧正月明けから、

 

台湾の会社で働くことが決まっており、

 

その準備のため、

 

10月に一度台湾へ行くのだという。

 

僕も来年中には、台北に移住する計画なので、

 

どこに住むか、生活費はどのくらいか、など、

 

一緒にあれこれスマホで調べながら盛り上がった。

 

 

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自分がやりたいと思っていることについて、

 

あれこれ語り合えば、自然と心がウキっとする。

 

こんな場所で、こんなことをしたい、というような、

 

夢を言葉で表現していると、今、この瞬間に、

 

そうなった時の気持ちが感じられて、

 

なんか、とてもワクワクしてくるのだ。

 

そして、この歓びの感じ、高揚した感じこそが、

 

無限の全体(神)に在る感じである。

 

 

そういう意味では、

 

望みが叶って「ヤッター!」となった時よりも、

 

ウキウキ、ワクワク、ドキドキしながら、

 

その望みに向かって進んでいる過程の中にこそ

 

神の想いを体感する瞬間がある、と言える。

 

 

だから、

 

たとえその夢が途中で頓挫してしまったとしても、

 

頑張って挑戦して一番になれなかったとしても、

 

やりたいことに向かって行動している過程で、

 

ハートに触れて、うわーっ、となっている感じや、

 

一斉に草木が息吹くような高揚感を味わえたなら

 

それはすでに神を感じているのであり、

 

それだけで夢に向かって行動した価値がある。

 

 

逆に、何の苦労もなく手に入れてしまったり、

 

自分には無理だし、と諦めてしまったり、

 

世界は無いと、やりたいことを無視してしまうと、

 

この〝神の感じ〟に繋がれなくなってしまう。

 

 

よく、

 

現実世界で、実現したい願望を持ったり、

 

夢の実現に向けて挑戦したりすることに対して、

 

「それは幻想を実在化させている」と、

 

批判的に捉えるコース兄弟がいるが、

 

ナンセンスナンセンスナンセンスである。

 

そんなことを言えば、

 

奇跡講座を実践して、永遠に故郷へ還る、

 

という願望も同じことになる。

 

 

なので、僕は、この夢の世界で、

 

夢や、願望や、やりたいことがあるのなら、

 

一生懸命大いに頑張ればいい、と思っている。

 

そして、

 

その過程で味わう様々な感動や歓びが、

 

まさに〝神の愛〟そのものなのだ、と、

 

いま、この瞬間に味わい尽くすのだ。

 

 

何のために?

 

それが本来の自分であることを智るためにだ。

 

 

 

 

 

 

泡ぶくのわたし

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👆 また今日も行っちゃった!

 

 

引き寄せの法則など、全く学んだこともなく、

 

これといって興味が無いにも関わらず、

 

なぜか、こまごまと引き寄せているボクである。

 

 

それでも、何かを引き寄せる上で大切なのは、

 

想いであるということくらいは知っている。

 

この世界は〝想い〟だけでできている、と、

 

事あるごとにこのブログの中で綴ってきたが、

 

ここへ来て、その想いこそが神そのものであり、

 

その想いこそが真の自己そのものだった、と、

 

理解が起こり、感動している。

 

 

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何年か前に、一瞥体験をした際、

 

どこにも自分がいないことを悟った。

 

腕、心臓、脳、果ては私という概念に至るまで、

 

どこにも自分という存在を見つけられない。

 

目を閉じて、自分の思考を観察してみても、

 

ただ〝想い〟だけが、サイダーの泡のように、

 

シュワシュワと湧きあがっては消えて行くだけで、

 

それを〝思っている主体〟がどこにもいない。

 

でも、どこかに〝自分が在る感じ〟はしていて、

 

現に、もう一人の存在がどこかにいなければ、

 

〝自分がいない〟ことにも気づけないはずだ。

 

 

その当時は、

 

湧き出す想いや感じとは別に存在している、

 

〝自分が在る感じ〟が何なのかが分からず、

 

ただ〝感じ〟とか〝それ〟と表現していた。

 

しかしいまは、それが無限の全体の感じ、

 

神の感じ、実相の感じ、愛の感じ、であり、

 

それこそが真実の自分でもあったと解かる。

 

それでようやく腑に落ちて分かったのが、

 

神や、実相や、兄貴(自分)、天国というのは、

 

人や場所やエネルギー体といった、

 

確固とした存在があるのではなく、

 

想いそのもの、感じることそのもの、

 

気配そのもののことだった、ということである。

 

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様々な物や場所や出来事に神の気配を感じて、

 

つい、その気配の出所を探ろうとしてしまうが、

 

その気配自体がもう〝神〟だったのである。

 

 

感じ、気配、様子、感覚、味わう、エクスタシー、

 

何でもいいが、そこに神は在り、それしかない。

 

想いしかなく、それが実在だ。

 

しかし、その〝想い〟は内側でしか味わえない。

 

だから、神へ向かうには内側(背後側)へ向かう。

 

神 (想い)は自分の内側に充満している。

 

 

泡ぶくは消えるに任せる。

 

 

かといって、誤解を避けるために言っておくが、

 

何かを引き寄せるために神の想いは使わない。

 

(断固!きっぱり!👈あっやしーい!by 兄貴)