香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神とのセックス

f:id:shusaku1:20210911224111j:plain

 

 

毎回、ジムでトレーナーとの筋トレを終えた後、

 

ストレッチエリアで30分ほど瞑想をしている。

 

瞑想と言っても、ただ深呼吸を繰り返しながら、

 

無限の全体の豊かさを感じているだけなのだが、

 

大きく息を吸い、丹田に溜めた息を、少しづつ、

 

30秒ほどかけてゆっくり吐き出していると、

 

まるで、身体全体で息をしているようになり、

 

細胞が粒子となって飛び散るような感覚になる。

 

その時の自己が愛の素粒子になって飛び散る

 

ような感覚がとても心地よいので、

 

心拍数が上がる運動後にこの瞑想をしている。

 

 

で、今回もいつものように瞑想をしていたら、

 

なぜか「私は○○です」と唱えたくなり、

 

○○にはどんな言葉がいいかなあ、と思って、

 

「私は愛です」とか「私は光です」とか、

 

色々やってみたが、何かが欠けているようで

 

しっくりこない。

 

全てを包括した一言はないかなあ、と思って、

 

ぱっと出てきたのが「私は〝神〟です」だった。

 

愛も、光も、豊かさも、平安も、歓びも、真理も、

 

全てこの一文字に集約されていると思ったのだ。

 

 

誰かに宣言をするように言うのではなく、また、

 

マントラみたいな言い聞かせ的なものでもなく、

 

息を吐きながら〝神〟という言葉の裏に流れる、

 

愛と歓びと平安な〝気配〟を感じ取るように、

 

ゆっくり何度も「僕は神です」を繰り返した。

 

すると「神です」と唱えるごとに、僕の内側から、

 

巨大なパワーが湧き上がってくるのを感じた。

 

それは、なんていうか、自分は豊かさそのもの、

 

愛そのもの、歓びそのもの、光そのものであり、

 

神と同じものを共有する神と全く同じ存在だ、

 

という強烈な智覚だった。

 

 

やがてただ「神…、神…、神…」と念じるだけで、

 

ずんずん神の力に凌駕されていくのだった。

 

自分は今、神と愛し合っている(交わっている)

 

のだと思った。

 

これまでハートのエクスタシーを感じて天城越え

 

という体験は多々あったが、今回はなんていうか

 

そういう神を感じて涙を流す類いのものではなく、

 

もっと凛としていて、巨大で、静かで、力強く、

 

完璧な秩序として存在する〝愛〟の力だった。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

このパワーの中にいたのは数分だったと思う。

 

どんなに神を感じる体験をしても、

 

肉体である僕たちはすぐに神を忘れてしまう。

 

なので、

 

こうして神を思い出す静寂の時間を持つことは、

 

とても大切なだな、と改めて感じた僕であった。

心の中の裏通り

f:id:shusaku1:20210821054442j:plain

 

 

コースは心の中の事のみを扱っており、

 

この夢の現実は、はなから起こってもいないので

 

現実で幸せになろう、とか、現実をよくしよう、

 

という想いは自我だと述べるコース兄弟がいる。

 

しかし、僕から言わせると、

 

今ここに在る神の愛を感じていれば、

 

現実は幸せで平安なものになって当然である。

 

それに、この世界で、もっとお金が欲しい、とか、

 

素敵な人と巡り合って愛し合いたい、とか、

 

辛い現状を変えたい、という望みは、

 

神の愛がほしい、と望んでいるのであり、

 

決して自我ではない。

 

逆に言えば、仕事でヘトヘトになっていたり、

 

人間関係に疲れ果てている現実がある時、

 

あなたはいま、

 

神を感じられていない状態にある、ということだ。

 

現実で疲労しながら、私は神に愛されています、

 

なんて絶対にあり得ないし、

 

現実で怒りや動揺を感じているのに、

 

私は何も感じていません、とやるのもおかしい。

 

 

f:id:shusaku1:20210831004529j:plain

👆 こういう〝心の中の裏通り〟を直視する

 

 

お金が欲しい、は、神の豊かさが欲しい、だし、

 

上司にイラッ、は、神から愛されたい、だし、

 

理不尽な要求に悔しい、は、神に認められたい、

 

という想いの裏返しである。

 

なので、

 

金が欲しくて欲しくてたまらなーいっ!

 

あの上司マジムカつくーっ!

 

何で自分がそんな事言われなきゃいけないんだ

 

という想いも、神の愛を欲する叫びである。

 

その想いをきちんと感じ、味あわせてやることなく

 

「これは起こってません。神だけを望みます」

 

と〝感じていないふり〟をするのはもう、

 

喜劇を通り越して悲劇でしかない。

 

 

神しか欲しくありません、とやる前に、

 

誰かに怒りを爆発させている自分、

 

(本当は神に愛されたくてたまらない自分)

 

あんな奴死ねばいいのに、と思っている自分、

 

(本当は神に認められたくて仕方ない自分)

 

疲れてへとへとになっている自分、

 

(本当は神の平安の中で安らぎたい自分)

を、ちゃんと感じて、味わい尽くしてやる。

 

思い切り、感情を爆発させてやることで、

 

自分を責めという自傷行為を消滅させるのだ。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

実際、僕は、

 

このプロセスを経て、現実が神一色となった。

 

そういう意味で、現実をつぶさに観察することで、

 

自分の内側に隠されているものを見つけることが

 

可能となる。

 

 

そういう意味で、現実を直視するとは、

 

神を直視するのと同義語である。

 

 

仕事帰りをとことん楽しむ

f:id:shusaku1:20210831004829j:plain

f:id:shusaku1:20210831004838j:plain

f:id:shusaku1:20210831004808j:plain

 

 

最近、仕事帰りに街をぶらつくことが多くなった。

 

今、この瞬間に現われている光を、

 

見とめ、聞きとめることが、とても楽しいのだ。

 

 

で、今日も仕事帰りに、リニューアルされた

 

セントラルマーケットに寄ってみた。

 

セントラル地区は、

 

名だたる金融機関が集まる香港経済の中心地で

 

お洒落な店も多く、僕が通うジムにも近い。

 

 

f:id:shusaku1:20210831004600j:plain

f:id:shusaku1:20210831004623j:plain

f:id:shusaku1:20210831004651j:plain

 

 

行ってみて、驚いた。

 

以前は生きた鶏なんかが売られていたのに、

 

市場というより、おしゃれスポットという感じだ。

 

それでもレトロな部分は残されていて、

 

昔懐かしい香港がぎゅっと凝縮されている。

 

バーや飲食店が充実しており、

 

ソファで飲めるワインバーや、ビールバー、

 

ジン専門のカウンターバーが軒を連ねている。

 

中でも、僕のお気に入りだったのが、

 

ジン専門バーにあった菊花茶のカクテルである。

 

香港ではよく、道端のお茶屋さんで、

 

茶碗に淹れた薬膳茶を立ち飲みするのだが、

 

そのお茶で作ったカクテルがすごくおいしい。

 

しっかり、お茶の味と菊の花の香りがする。

 

ジンベースなので、一杯でふらふらになるかな、

 

と思ったが、そんなにきつくなかった。

 

f:id:shusaku1:20210831004744j:plain

 

f:id:shusaku1:20210831004709j:plain

 

f:id:shusaku1:20210831004758j:plain

 

 

二階は香港っぽい雑貨が満載で、

 

次回は二階の方をゆっくり回ってみようと思った。

 

 

それにしても、春の息吹のような嬉しい感じが、

 

いつも背後に流れていて、表面的には、

 

色々な感情が湧き上がってきていても、

 

底辺にはいつもこの歓びが流れている。

 

ひょっとして、これが、周波数とか、素粒子とか、

 

フォトンを放っている状態なのかなあ、

 

と思ったりする。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

まあ、先のことはどうなるか全く分からないが、

 

未来の僕である兄貴は常にここに在り、

 

この歓びの流れは変わらず永遠にここに在る。