香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

決断するんです!

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昨日10月1日は国慶節で会社は休みだった。

 

この日、昼間はジムで自主トレをし、夜は、

 

ワインとつまみ(チーズやサラミなど)を持って

 

書斎に籠り、創作に専念した。

 

 

休暇前、病気で長期療養をする僕の部下、

 

ミンと業務の引継ぎを行なった。

 

5年後の生存率35%という病状の中で、

 

きちんと引き継ぎを行なう彼女を目の当たりにし

 

〝ここが私の居場所だ〟という強い覚悟を感じて

 

僕は自分の中途半端さを恥じた。

 

 

眠っている、とか、目覚めている、とかではない。

 

自分が覚悟を以って凛と決断しているかである。

 

僕はその覚悟を決められず、どっちつかずで、

 

ぐちゅぐちゅずるずる、と迷っていた。

 

「私はこの場所(フィールド)で生きてゆく」と、

 

腹を決めてそこに留まっている兄弟たちは、

 

それが恐怖や不安からの選択であろうと、

 

尊敬に値する。

 

そのことを学べただけでも、たった数か月だが、

 

僕はこの会社に転職した意義があった。

 

 

国慶節の休みに入る前、僕が辞職するにあたり

 

中国国内にいる統括部長と電話で話をした。

 

はっきりと小説に専念します、と伝えた。

 

(彼は僕が台湾で本を出版したことを知っている)

 

ただ、ちゃんと後任が決まり、

 

業務をちゃんと引継ぐまではここに残りますと…。

 

彼は残念だけれどわかった、と言ってくれた。

 

 

そうなのだ。みんな優しすぎるくらい優しい。

 

だから、ここまでずるずる来てしまった。

 

いっそ、

 

チョー嫌な奴がいた方が、すっぱり辞めれるのに。

 

 

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今回「会社を辞めます」(前へ進みます)と、

 

力強く伝えられたことで僕も腹をくくれた。

 

今回、今の会社の同僚たちに出会ったのは、

 

他人の振りして現れた、僕の中の別の側面

 

をちゃんと愛として受容し、赦すためだった。

 

 

 

僕は正しい軌道にいる。

 

兄弟たちがそれを証明してくれている。

 

 

 

腹が決まる

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起きることに、心をオープンにしていること、

 

起きてくることに、いつも意識を開いていること、

 

消えゆく光を、さらけ出して恥じずに見送ること、

 

これが僕の、今この瞬間に在る、の状態である。

 

 

起きていることに開いている、というのは、

 

何もせずにじっとしていることではない。

 

恐怖や不安、怒りや悲しみ、が出てきても、

 

言ったことや、やったことに対してさえも、

 

ただ起きるに委ね、開いて見つめている。

 

それが僕にとってのグランディングであり、

 

決断の主体に在ることでありゼロポイントである。

 

 

話は変わって、二人いる部下のうちの年輩の方

 

(42歳/勤続22年/独身/)の彼女が、

 

10月半ばに入院し、手術を受けることになった。

 

婦人科系の、しかも命にかかわる病気で、

 

術後も化学治療などを続けねばならず、

 

少なくとも今年いっぱいは休職することになる。

 

経理業務には〝締め〟というものがあり、

 

月末には必ず数字を締めなければならない。

 

なので、二人しかいない経理部員のうち、

 

一人が休めば、この締めに支障が出る。

 

それで、とりあえず、

 

僕が彼女の仕事を引き継ぐことになった。

 

経理だけでなく、給与計算などもあり、

 

来週は引き継ぎでてんてこ舞いになりそうだ。

 

 

不思議なのが、全然不安にならないことだ。

 

以前の僕だったら、こんなことが起これば、

 

ひとり右往左往し、慌てふためいていたのに、

 

今に気づいきながら、起きていることだけに

 

心を開いていると、無限の全体そのものになり、

 

何の問題も無いことを智っている状態となる。

 

 

その時、〝彼〟(兄貴)が僕の傍らでささやいた。

 

無限の全体100%全開で生きるか、

 

このまま、常識まあまあな時間を生きるか、

 

心の中で思っているだけではなく、

 

きちんと、物理的な行動で決断しなさい、と…。

 

 

会社を手放して新しいフィールドへ進みたい、

 

今のこのファイナルコールを逃してはならない、

 

という、内なる声が聞こえていたにもかかわらず、

 

グズグズとここまできてしまった。

 

すると今度は、秋分の日を過ぎた頃から、

 

会社を辞められないような事態が発生し、

 

ますます流れが固定されていってしまう。

 

二極化ってこういうことなんだ、と、腑に落ちた。

 

 

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このまま会社にいるか、別の世界へ移行するか、

 

どちらの選択も間違いではないが、

 

ハッキリ決断しないまま現状に留まるのは、

 

会社に居ることを力強く決断している他の兄弟

 

(同僚達)に対してとても傲慢で失礼な行為だ、

 

と、静かな口調で〝彼〟(兄貴)は言った。

 

 

で、退勤後、すぐに日本人総経理に話した。

 

こんな時にナンなんですが、会社を辞めて、

 

日本へ完全帰国したいんです、と…。

 

もちろん、後任が決まり、引き継ぎを行なうまでは

 

ちゃんと管理本部長としての責任は果たします、

 

と言った。

 

総経理は少し時間をください、と言った。

 

 

ああ、とうとう言っちゃった…。

 

無駄遣いをやめて貯金しよ。(そっちかい!)

 

 

 

場面の自分

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僕達は日常的にいくつもの世界(タイムライン)を

 

行き来しているのだ、と兄貴は言う。

 

会社で同僚と仕事をしている時の世界、

 

ひとり家で小説を書いている時の世界、

 

家族といる時の世界、

 

友人と酒を飲んでいる時の世界、

 

それぞれの世界にいる自分は、場所だけでなく、

 

話し方、立ち居振る舞い、表情、性格など、

 

何から何まで違っている。

 

そう考えると、普段から自分は、無意識のうちに、

 

いくつもの違う自分の世界を行き来している

 

ことになる。

 

 

異なる場面として存在するいくつもの世界は、

 

周波数が異なる独立した別個の宇宙である、

 

と〝彼〟(兄貴)は僕に説明した。

 

しかし普段の僕たちは、これらいくつもの世界を、

 

独立した全く違う世界であるとは思わず、

 

〝ひとつの現実〟として捉えているため、

 

その中のどれかの世界で問題が生じれば、

 

それが他の世界にまで影響を与えてしまう。

 

例えば、会社で嫌なことがあって気分が悪いと、

 

友人と飲んでいる世界にまでその気分の悪さが

 

波及していってしまうのだ。

 

 

それぞれの場面が、全く別々の人生だ、くらいに

 

認識できてくると、ひとつの場面を手放すことは、

 

ひとつの宇宙を消滅させることと同じになる。

 

例えば、僕が会社勤めを辞めることによって、

 

会社にいる僕、というひとつの宇宙が消滅する。

 

またある人にとっては、それが離婚だったりする。

 

離婚することで、家庭というフィールドが消え、

 

結果、パートナーに葛藤する自分もなくなる。

 

自分の中の世界(宇宙)がひとつ消滅するのだ。

 

なので、会社を辞めるとき、離婚するとき、など

 

世界を手放すときは愛で手放さないといけない。

 

愛情ではなく、愛で世界を終わらせるのだ。

 

会社や相手の要求を全て受け入れるのは、

 

愛ではなく愛情である。

 

自分に正直に寄り添うのが愛である。

 

だから、

 

きちっと話し合い、イーブンで終わらせる。

 

 

そうやって愛からの断捨離をしてゆくと、

 

最後はひとつの自分だけが残る。

 

それは、愛に満ちた平和な世界の自分だ。

 

なので、いつでもどこでも自分を変えることなく、

 

好きな事だけをやって自由に生きている人は、

 

世界がひとつしかない状態にあると言える。

 

赦しとは、退職や離婚など、

 

実際に何かをやめることによって、

 

場面(世界)が消えることでもあり、

 

幸せな夢とは、

 

最後に残ったひとつの世界のことをいう。

 

 

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今の縦軸に焦点を合わせ、

 

今この瞬間に在る自分や神や愛に、

 

気づいていられるようになってくると、

 

常に、今ここに在る世界の場面だけが

 

展開されているように感じられてくるので、

 

自分の中にいくつもの世界を内包していても、

 

他の場面の世界との干渉が起きなくなってくる。

 

 

赦すには、今この瞬間が不可欠なのだ。