香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

永遠のひとりエッチ

f:id:shusaku1:20220107205537j:plain

 

 

今日もランニングに行っちゃった!

 

ついでにそこからインスタライブまでしちゃった!

 

前回の記事でも書いた、

 

言葉を発したり、何かを見て認識した途端、

 

すでに無限の平安に抵抗してしまっていることや

 

〝それの正体〟を智ってしまったら即終了、

 

といったことについても語った。

 

しかし、あまりうまく話せなかった。

 

どう表現してもやっぱりちょっとズレる。

 

まあ、それもそのはずで、

 

言葉で無限の全体に抵抗しているのだから、

 

それを言葉で伝えようとしても所詮無駄なのだ。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

見えているもの、起きていること、湧き出る感情

 

果ては、抵抗しようとするその事実に対してさえ、

 

ただ、その〝ありさま〟に委ねて抵抗しない。

 

すると、見えているもの、起きていること、

 

湧きだす感情の向こうに、何やら得体のしれない

 

普遍で不可知な〝ありさま〟を智る。

 

 

本質の自分、でもなく、神そのもの、でもなく、

 

実相世界、でもなく、神の解釈、でもない。

 

絶対に、知ることも、理解することも、感じることも

 

できないけれど、確固とした〝実存〟。

 

 

知らんけど… 。(としか今は言えない)

 

 

なぜなら、僕の場合はまだ、

 

モザイクのかかったAVを延々見せられながら、

 

イクことのできないひとりエッチ状態なので、

 

そんな僕が、モザイクが取れた無修正な姿を、

 

語ることはまだできないのだ。(👈 何の話や!)

 

 

f:id:shusaku1:20220107205615j:plain

 

 

と、ここまで来てすごいことに気づいてしまった。

 

この幻想の世界でやっていることって、

 

全部、絶対にイクことの出来ないひとりエッチを、

 

何度も転生しながら(〝ずりネタ〟を変えながら)

 

シコシコやってるだけではないか、と…。

 

そして、悶絶プレー、ドMプレーを妄想しつつ、

 

神を感じて、

 

「あああ、女王様、罪深い私にもっとお仕置きを…」

 

と、身もだえしながら,

 

オーガズムに達しようとしている。

 

(※女性読者の皆さん、殺して下さい)(爆)

 

 

えへん、ゴホン!

 

えー、というわけで、今回のインスタ配信は、

 

夜の香港の雰囲気だけを楽しんでいただければ

 

幸いである。

 

(@hoshitani :フォローしてね!)

 

 

在り方の反転

f:id:shusaku1:20220107205623j:plain

 

 

奇跡講座を実践されている、ある方のブログ

 

(男性/50代くらい?)にコメントを書いたのだ。

 

その方は、ブログの中で、ご自分のことを、

 

優柔不断で、頼りなくて、弱くて…、

 

と書かれていたが、

 

僕はそんな風には一度も思ったことがなくて、

 

いつも人に対して思いやりを以って接する、

 

なんて〝優しい人〟なのだろう、と思っていた。

 

また、人から攻められたり、不当に扱われても、

 

決して憎まず、全てを受け入れていく姿勢に、

 

なんて〝強い人〟なんだろう、とも感じていた。

 

(俺ならきっとキャンキャン吠えまくり👈負け犬)

 

それで、僕はその通り感じたままコメントをした。

 

 

そのとき、気づいたのだ。

 

自我から見るか、兄貴から見るか、によって、

 

自分に対する捉え方が全く違ってくるのだ、と…。

 

彼が優柔不断だと思っている部分は、

 

僕には、思いやりのある人、と見えていて、

 

彼が〝弱い〟ととらえている部分は、

 

僕には〝強い〟ととらえられている。

 

それに何より、自分のことを頼りない、

 

と思っている人というのは、

 

頼りない人や、迷惑をかけた兄弟に対して

 

決して非難したり咎めたりしない

 

優しい理解力を持っている。

 

そして、聖霊の視点で観る、というのは、

 

こういうことなのだ、と悟った。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

自分のことを、なんてダメなヤツ、と感じた時、

 

全受容100%の兄貴からすれば、

 

そんなところが大好き、愛してる、

 

と見えているかもしれない。

 

 

近眼メガネを掛けた冴えないデブったオレ

 

➡デーンと構えている感じが大物そのもの!

 

言いたいことも言えずにいつも無口な私

 

➡口数の少ない所がめっちゃ神秘的でクール!

 

 

こうして、聖霊の見方を採用したとき、

 

自分に力強い輝きが戻ってくる。

 

これまでダメだと思っていた部分が、

 

すっごく魅力的でクールなものへと反転する。

 

 

そして、自分ではだめだと恥じていた部分が、

 

クールでカッコいい部分に反転し、

 

その部分で凛と力強く生き始めた時、

 

それは、聖霊とともに生きていることになる。

 

 

あなたがダメだと思っている部分は、

 

本当にダメなのか、

 

もう一度、ちゃんと見てみる。

 

 

知ったら終了!

f:id:shusaku1:20220110022908j:plain

 

 

毎日、夕方に競馬場をランニングしている。

 

一応、ジムが解禁になるまで続けるつもりで、

 

それに合わせ、炭水化物制限も始めた。

 

 

こうして毎日、競馬場のトラックを走っていると、

 

軽いトランス状態に入るからか、周囲の景色が、

 

認識できなくなる瞬間を体験するようになった。

 

と同時に、

 

これはビルで、この人は男性で、ここは競馬場、

 

と思った時点で、今ここに在る無限(神)に

 

抵抗していることに気づき、その抵抗に対して

 

居心地の悪さを感じていることにも気づいた。

 

「これ全部が神やなんてイヤや!怖すぎる!

 

 せやから、これはビル、あれは男性、

 

 ということにしとけば、とりあえず安心!」

 

と言ってる自分が透けて見えてしまうのだ。

 

 

〝競馬場〟で〝ランニング〟をしている〝僕〟

 

といった、見る、聞く、感じる、という行為から、

 

言葉による解釈が立ち上がり、そこから、

 

神が無数に分断された世界を認識している。

 

なので、

 

全ての人やモノや出来事に神が顕われている、

 

というのも、分断された人やモノや出来事の中に

 

分断された神を見、感じていたことになる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

今日も、(自称)ランニング瞑想をしていた時、

 

ビルや、競馬場の芝生や、風や、木々の裏に、

 

知ってしまえばすべてが終了、というような、

 

決して分断されることのないとてつもない真実、

 

みたいなものの〝気配〟を感じていた。

 

それで、もっとよく観よう(感じよう)とすると、

 

ビル、競馬場の芝生、風、寒い、といった、

 

言葉による解釈にかき消されてしまう。

 

もっと言うと、それは気配ですらなく、

 

ある、とか、ないとかすらも言えない、

 

理解を超えているもの…。

 

 

なにか隠れてるんだけど、よく見えない。

 

感じてはいるんだけど、正体がはっきりしない。

 

なんか、

 

あちこちモザイクだらけのAVを見ながら、

 

イキそうでイケないひとりエッチを

 

延々しているみたいな感覚…。(し、失礼!)

 

 

あ、そうだ!

 

明日〝天城越え〟を聴きながら走ってみよう!

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com