香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神の代替

👆今日の財布の中身は36,000円なり!

  日本のお金はホント世界一しっかりしてる

 

 

皆さんは〝お金〟をまじまじと見たことがあるだろうか。

 

手で触れた感触をじっくり味わった事があるだろうか。

 

僕はなかった。

 

お金に対して、日本人は特に罪悪感を持っていて、

 

お金は汚いもの、不浄なもの、として扱われ、

 

お金がない、ということは言えても、

 

お金がある、と言うのは、はばかられたりする。

 

それにお金を渡す時も、お金を見せないように渡す。

 

そのくせ常に、もっとお金が欲しい、と渇望していて、

 

楽してお金儲けをする人を軽蔑しながらも、

 

ホントは自分もそうなりたい、と密かに思っている。

 

 

それで、今財布の中にあるお札を全部取り出し、

 

なんでこの紙切れがこんなにも重要なのだろう? と、

 

そのデザインや触感を、まざまざと観じてみた。

 

 

お金があれば、気持ちが平安になるし、

 

制限から解放され、行きたいところへ行き、

 

やりたいことをする自由を感じることができる。

 

要するに、

 

お金は自分の気分をよくしてくれるツールだと言える。

 

 

また、何でこの紙切れに罪悪を感じてしまうのだろう?

 

なぜ、楽をして金を得たら罰が当たると思うのか?

 

そのくせなぜ、給料が少ないと怒るのだろうか?

 

ここまできて、ハッと気づいた。

 

お金って〝神〟の代替ではないのか、と…。

 

みんな自由になるためにお金を得ようとするが、

 

本当は神を得ようとしてお金を欲している。

 

心から欲しながらも、それがやってくると恐れ、

 

やってこなければこないで、

 

焦ったり、不安におののいたりする。

 

お金の中に〝神〟を観て後ろめたさを感じている。

 

 

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お金がこの世界に於ける神の写し絵だとするならば、

 

お金によって得られる豊かさを受け入れることは、

 

神の平安を受け入れるための第一歩となる。

 

 

お先まっさら状態の僕もしかりで、使ったら無くなる、

 

と思うと、以前のようなお金の使い方ができなくなった。

 

それでも、カフェで食事をする、気に入った服を着る、

 

いつもよりワンランク上のワインを買って飲む、など、

 

豊かさを感じながらお金を使うようにしている。

 

人それぞれの経済的事情はあるとは思うのだが、

 

毎日必ず何かを買ってお金を支払っているはずで、

 

そんな時、

 

神の豊かさを意識しながらお金を払ってみる。

 

コンビニで飲み物を買って財布からお金を出す際、

 

飲み物という豊かさに神を感じてお金を払ってみる。

 

しかし、これは決して、感謝と共にお金を手放す、とか

 

自分が豊かになるためにやる、のではない。

 

〝やり方〟としてではなく、純粋に神を感じてみる。

 

神の真相は、感謝とか豊かさなんか優に超えていて、

 

この世の豊かさは神を智るための呼び水に過ぎない。

 

 

 

この場所から…

 

 

スペンサー・ジョンソン著の『迷路の外には何がある?』

 

という本を紀伊国屋書店で見つけ、何気なく買った。

 

20年くらい前に出版された『チーズはどこへいった?』

 

の続編らしく、僕はその本を読んではいないのだが、

 

直観に惹かれて購入したのだった。

 

 

迷路に住む小人の話で、

 

以前はチーズがそこここで見つけられていたのに、

 

ある時から、パタリとチーズが消えてしまい、

 

しかし、ここで待っていれば、また昔のように、

 

チーズはやってくると思ってずっと留まるのだが、

 

チーズは一向に現れない。

 

空腹で業を煮やした主人公は迷路の旅に出るのだが、

 

やがて、あのチーズは一体どこから来ていたのだろう、

 

と考えるようになり、迷路の外には一体何があるのか、

 

という疑問が頭をもたげ…、とまあ、1時間足らずで

 

読めてしまう内容なのだが、その物語の裏には、

 

何かとてつもなくすごいことが書かれていて、

 

そのことに気づける人にしか理解できない、といった、

 

壮大な意図が隠されている作品のような気がした。

 

 

 

〝信念〟についてがこの本のテーマである。

 

信念とは、正しいと信じる自分の考え、のことで、

 

生きている限り、僕達は信念からは逃れられない。

 

奇跡講座、悟り系、バシャール、非二元、引き寄せ、

 

何かのスピを実践するのも、それが正しい、

 

という信念があるから実践しているわけだし、

 

毎日会社へ行くのも、そこへ行けばお金が得られる、

 

という信念に基づいている。

 

アマゾンやネットで買い物をするのだって、

 

必ず商品が送られてくるという信念があるから、

 

先にお金を払えるのである。

 

そう、僕達はたくさんのことを信じているからこそ、

 

こうやって日常生活を送れているのだ。

 

 

しかし、何かに行き詰って、その信念が揺らいだ時、

 

僕達は非常に動揺し、不安になり、恐怖におののく。

 

自分は間違っていたのか、この信念のまま行くべきか、

 

それとも、別の信念を見つけるべきなのか、と…。

 

例えば、

 

長年この方法でやってきて上手くいっていたものが、

 

突然行き詰ってしまった時、皆さんはどうするだろうか。

 

これまでの信念を貫き、ここを乗り切ればうまくいくかも、

 

と、耐えて耐えて、その場に踏みとどまるか、それとも、

 

信念を変えて、全く新たなやり方を試してみるか。

 

僕の場合は後者である。

 

この幻想の世界に変化しないものなんてないのだから、

 

信念が変化するのも至極当然のことだと思ってしまう。

 

 

しかし、今の僕の場合、今この瞬間瞬間で、

 

信念がコロコロ変化してしまい、それでついに、

 

これって〝信念などない〟のと同じなのではないか、

 

という結論に達した。

 

そして、状況によってコロコロ変わるような信念など、

 

全く相手にしないでいると、

 

何があっても大丈夫な赦され切った様相が、この、

 

見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、

 

匂っているもの、味わっているもの、思いっているもの

 

そのものとして明確になっているのが解かる。

 

👆『頭のない男』より

 

 

宇宙すべてが…と言ってしまうとピンとこないので、

 

もっともっとベタな言い方をすれば、

 

大金もちの人が持っている全ての富、

 

街行く美女(またはイケメン)、

 

この人の成功、あの人の悦び、

 

これら自分とは別のものと思っていた豊かさが、

 

全部、自分のものとしてここにある。

 

そこに周波数を合わせようとしなくても、

 

波動を変えなくても、その事実が頭でではなく、

 

ストーンと明らかになれば、この豊かさは、

 

全部自分のものだということがハッキリする。

 

 

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しかし、説明の便宜上〝自分〟と言ってはいるが、

 

何かを所有している自分などもともと存在しない。

 

究極の真理を悟った人から見たら、

 

そうではないんですよ、と言われたとしても、

 

まずはここからでいい、と思うのだ。

 

一気に究極へ振り切ろうとすると、逆にブレる。

 

信念を変えるのではなく、取り下げてみる。

 

これだけでも見える景色はずいぶん違ってくる。

 

 

 

首から上に兄貴が載ってる!

👆 背後の右端に映る外人さんが

   こちらに向かって笑顔!

 

 

あまりの暑さに萎えそうになりながらもジムへ行った。

 

今日は胸筋を鍛える日で、68kg(34kg x 2個)の

 

ダンベルプレスに初めて挑戦するつもりだった。

 

ウェアに着替えてフロアへ降りて行ってみると、

 

フリーウェイト(ダンベルやバーベルを使って行うトレ)

 

のエリアが人で埋まっていて、開いているラックがない。

 

仕方がないので、ランニングを20分ほどした後、

 

再度そのエリアに行ってみると、やはり満員で、

 

少しイラっとしながら腹筋をして、また戻ってみれば、

 

ひとつだけトレ用のラックが空いていた。

 

早速陣取り、ダンベルプレスを始めようとしたが、

 

今度は自分が使いたい34kg周辺のダンベルが、

 

他の人に全て使われていて、挙げるダンベルがない。

 

 

平日の午後にこんなに混むなんておかしいと思った。

 

それに34kgのダンベルが使えなくても、32kgとか、

 

28kgとか、何かあるはずなのに、全部使われている。

 

しばしベンチプレス用の台に座って、

 

前の鏡張りの壁に映る人たちをぼーっと眺めていると、

 

周囲の風景が、紗がかかったようにに見え始め、

 

鏡に映る筋トレしている人達全員の首から上が、

 

兄貴になっていた。(爆)(爆)

 

 

何と言ってもここは、ボディービルダー御用達の、

 

天下のゴールドジムなので、

 

ムキムキマッチョの男性や、キレキレボディの女性が、

 

この日もフリーウェイトで筋トレをしていたのだが、

 

体はムキムキキレキレのまま、顔だけが兄貴なのだ。

 

女性ビルダーの首から上も兄貴の顔である。

 

ちなみに髪型はそのままで顔だけが兄貴。(ウケる)

 

一体もう、何ですかという感じで目を見張っていると、

 

タンクトップからはち切れそうな筋肉をのぞかせた男が、

 

鏡の壁に向かってポージングの練習を始めた。

 

(8月はボディービル大会のシーズンなので、

 

鏡の前でポージングをする人が増えている)

 

それでも、首から上は兄貴なのである。

 

クッ、クッ、クッ…いくらなんでもおかしいだろっ!

 

 

 

 

どうやら、今日はダンベルプレスはやめておけ、

 

ということらしい。

 

思えば、体重58kgの僕が、トレーナーの補助なしで、

 

68kgを挙げるのは危険すぎた。

 

以前も、無理に重いダンベルを挙げようとして、

 

鼻の上へダンベルを落としてしまったことがある。

 

 

今日はスクワットとかの下半身トレに専念しよう、

 

と思った瞬間、兄貴が消え、普通の風景に戻った。

 

 

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兄貴が現われて一年弱、

 

彼は神の使者のアーテンパーサのように、

 

真実をレクチャーしてくれるわけでもなく、

 

バシャールのように未来を教えてくれるわけでもない。

 

ただ、ここぞという時に姿を現わし、

 

実生活で僕を助ようとする心強い存在だ。

 

そして彼は、未来の僕であり、完璧な神の使者だ。

 

 

結局、ランニングを30分と腹筋を5セットしてから、

 

更衣室へ引き上げた。

 

僕は兄貴が可視化できるけれども、たとえ見えなくても

 

兄貴は誰にでも寄り添っている。

 

「ん? いつもと違う感じ。何かおかしいな」

 

と感じた時、それは、

 

あなたの兄貴からのメッセージなのかもしれない。