香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

死ぬほど怖い人


↑ジムのコーヒーラウンジからの風景。


12月は年次決算の締め月なので、

財務管理者にとって1月はとても忙しい。

そこへ今年は旧正月の休みが重なるため、

真っ赤に焼けた炭の様になって仕事をしている。


今日の幻想世界で見た夢の出来事は、

『佛山いろいろ』というものであった。

まず、日本のコンサル会社から、

山田千秋という人が監査に来るというので、

どんなきれいな女性が来るのかと期待していたら、

おっさんだった。


それから、

出張できているコンババ管理部長が凹んでいた。

彼は先の大忘年会で、バイチューで酔った挙句、

舞台で全裸になって裸踊りを踊ってしまい、

その開陳映像が、中国版ツイッターである

ウェイシンによって中国中に拡散されてしまう、

という大失態をやらかし、相当落ち込んでいた。

もちろん、本人にその時の記憶は全くない。

そんな彼の、開陳後初中国出張だったのだが、

工場のみんなからはドン引きの目で見られ、

自分に自覚があってやったことではない分、

本人はものすごくびびっていた。


僕も含めた日本人のみんなは、夜の飲み会で、

彼をネタにして盛り上がったりしていたが、

管理部長が今回味わった恐怖は僕の恐怖でもある。

自分が投げつけた運子ちゃんを相手に見て、

ああ、自分でなくてよかったあ、とか言ってるのだ。

どうせいつか自分の番がくる。

なので、目の前の別人格(管理部長)を、

自分が罪から逃れるために創り出したのだと認め、

この夢の世界を赦し、兄貴に明け渡してゆく。


もう、自分がすることはこれだけである。

あっ、あと、芥川賞を獲ることです。(笑)(←うそ!)


↑上海虹橋空港内にある〝ブリッコカフェ〟。
 ここの白ワインが好きである。

話は変わるが、昨日、佛山のステーキハウスで、

独りステーキのみの夕食をとりながら、

自分が赦すべきたった一人の人物である

〝まことちゃん〟とは、僕自身のことだったと、

前文のブログ記事の通り、理解はできたが、

自分を赦すとは具体的にどういうことなのだろう、

と聖霊に訊いていた。

すると、

〝この人生の中で、自分が最も恐れている人物を、

 一回だけ完全に赦せ。その相手こそがお前だ。〟

という言葉が頭の中に響いた。


言い換えれば、

自分の中に潜んでいた神への恐怖を押し付けた相手、

それが、今世で最も恐怖を抱く相手であり、

その相手を完全に赦すことで自分が赦され、

平安のもとに神の一歩を受け入れることができる、

ということだ。


恐怖に立ちすくみ、何も言えなくなるような相手、

一生涯を通して自分をビクビクさせるような人物、

怖くて絶対に逆らえないような人、など…。

考えてみたら、僕にはそこまで究極な人はいない。

だから、もし、

父が待つ故郷へ永遠に戻ることを決めていて、

なおかつ、そういう自己の究極の罪悪感を投影した、

強大な恐怖をもたらすドッカーン人物がいるのなら、

それってものすごくラッキーかも、と思ったのである。


とてつもなく神を恐れている僕たちは、

そのあまりに巨大すぎる恐怖を否定した結果、

現実世界にあらゆる形態の恐怖を投影している。

それはゴキブリだったり、暴力をふるう親だったり、

学校だったり、上司だったり、ストーカーだったりする。

その神への恐怖の代替である対象物を直視し、

これは夢であり、ウソなんだ、と完全に赦すことで、

父は愛する以外、何もしてこなかった、

という事実に、少しずつ少しずつ気づいてゆく。


普通は、虫や、苦手な人や、家族などを使って、

自分が外へ投影しているちょっとした小さな恐怖を、

チマチマと空け渡してゆくものなのだが、

超ド級のスワット隊員ともなると、

虐待、暴力、巨大パワハラと言った対象を投影させ、

それを赦すことで、一気に終わらせてしまう。


決して、

その相手が手のひらを返したように優しくなったとか、

仲良くなったとか、そういうことが赦しの完結ではなく、

たとえ相手は変わらなくても、ただ愛と平安の中で、

その人物に接することができるようになったならば、

それはもう、神への恐怖を取り消したことになり、

神への一歩を受け入れる準備ができたのだ。


まあ、チマチマにせよ、ドッカーンにせよ、

夢の別人格を赦した後は、

ただ聖霊兄貴に任せきっていればいい。

あとは、兄貴の責任だ。


そういう意味で、僕たちは日々、

神からの一歩を平安と歓びの中で受け入れるための

訓練をしているのかもしれない。