香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夢をゆだねる


↑梅田東通り商店街。

毎日、起床時と就寝前の五分間、瞑想をしている。

これと言って、何か決まったやり方がある訳ではなく、

ただ、この夢の世界の外側から漏れ伝わってくる、

〝神の感じ〟をひたすら感じ取っているだけである。

というのも、最近、心底、リアルに、腑に落ちて、

生活全般が夢の世界だという自覚が強まり、

誰が何をしていても、ああ、これは夢なんだ、

目が覚めれば消えてゆく幻で、誰もいないんだ、

それゆえに、これは全部起こってないんだ、

だから罪なんかは無いんだ、だから、

目の前の出来事をただ赦し、

目醒めていくことだけを意図していればいいんだ、

というスタンスで日常を過ごしている。


以前は、天国を否定したことから生じた投影を、

外の世界に見てナンチャラカンチャラ…、或いは、

自分が投げつけた運子ちゃん(悪)を、

他者の中に見て恐怖してナンチャラカンチャラ…、と、

どこか言い聞かせるような感じだったのが、

今はもう

〝これみんな、分離を信じた結果の夢じゃん、

  分離もなく、罪もなかったんじゃん、おわり!〟

みたいな様相を呈するようになった。


そうやって、自分は夢のお話の中にいるんだ、

と夢を見ていることを自覚しながら過ごしていると、

今度は、本当に自分がいる世界の方を

意識し始めるようになった。

それは、朝ベッドで目覚める、直前のときのような、

夢はまだ見ているんだけど、チュンチュンと、

すずめの鳴き声も聞こえてきます、みたいな、

この現実と思っている世界の外側の方へと、

意識があ引っ張られていくような感覚になった。

それで、外側の世界(ハート)の方へ、

もっと耳を澄ましてみようということで、

毎日、5分間だけだが瞑想をしている次第である。


↑家の近くの商店街
日本帰国直前の夜も、

順徳の港からホテルへ向かう車中、

運転手が道を間違え、本来なら通らない、

渋滞道路の方へ迷い込んでしまった。

舌打ちする運転手、いつ終わるとも知れない渋滞、

その間、僕は、この夢のスクリーンの外側の世界、

神の方へと耳を澄まし、

「本当にリアルに見えているけど、これは夢なんだ。

本物っぽく見えるけど、騙されているだけなんだ。

本当は誰もいないし、何もしていないんだ。」

もちろん、言葉を唱えているわけではないが、

〝神は恐怖ではなく、愛である。〟と、

ただ、神の呼び声に耳を澄ませながら赦していた。


結局こんな感じでホテルに着いたのだが、

思ったのは、奇跡講座にしろ、バシャールにせよ、

量子物理学にせよ、非二元にせよ、引き寄せにせよ、

その他、多くのスピリチュアルを学んでゆくうえで、

まず大前提となるのが、この世界が夢で幻想である、

という〝真の自覚〟である。

ただ、〝真の〟というところがミソで、大抵の場合は、

知識止まりになってしまうことが多い。

夢に埋没し、無意識状態であれこれやった後になって

〝ああ、これも幻想だった。〟と言い聞かせてしまう。

エゴとしては、世界はないということに気づかれても、

世界は無いそのものを自覚しながら生きていなければ

それでOKなので、

「ああ、それ知ってる、知ってる。」状態は、

エゴにしてみればありがたい限りである。


そうではなく、

夢の出来事が起こっている、今の瞬間瞬間を、

「これ、夢なんだ。」と自覚しながら生きるのだ。

そこは〝根性〟でやる。


これがちゃんとリアルに入ってくると、

夢ではない領域からの感覚が大きくなり、

聖霊の声が聞こえやすくなり、その声に従うと、

さらに様々な情報や気づきや変化が起こってくる。


夢を聖霊に委ねる。

このスタンスが定着してきたのが嬉しい。