香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

もういいや!



先日、佛山工場が閉鎖され、

残った設備や部材をどうやって移管させるか、

という会議が、解散後の佛山工場で行われた。

業務は今後、フィリピン工場へ移管されるため、

全ての設備を国外へ輸出させなければならない。。

これがまた大変で、それには多くの規定があり、

自分たちだけでやるのはとても無理だ。

そこで、自分たちの設備を、一旦、

中国国内にある輸出専門業者に売り、

そこから国外へ輸出してもらう、という手を考えた。


そこで、輸出専門業者とその関連の運送会社、

購買や設備担当の日本人などが集結し、

佛山工場の会議室でいろいろと方策を話し合った。

僕には、各設備に簿価を入れ、売却価格を決める、

という任務があったのだが、

お金に関係しない部分がほとんどだったので、

カリカリと殺気立ってる日本人担当者たちを前に、


→ 「世界がないのなら、赦すべき対象などない。」

→ 「ここにはこんな人など存在していない。」

→ 「故に何も起こっていない。」

→ 「兄貴お願いしますっ!」


と、内なるびゅんびゅんを明け渡し続けていた。


↑休憩室に残された水筒やコップ


会議を終えて出てくると、

海坊主総経理の様子がおかしかった。

覇気がないというか、落ち込んでいるというか、

総経理室にぽつんと腰かけ、一点を見つめている。


どうしたのかと訊けば、

先週土曜日に役員面談を受け、その時に、

9月末での雇用解除勧告を受けたのだという。


彼はもともと、

上海にある小さなコンサルティング会社にいた人で、

54歳という年齢もあり、うちを最後の勤め先として、

一年前に転職してきた。しかし、人員整理の嵐の中、

何かに特化した専門知識があるわけでもなく、

中国語も、英語もできないとなれば、

他に使える役職がない、というのが会社の本音だ。


この報を告げられたとき、

「ああ、これが自分でなくてよかったあ!」

という想いが自分の中から出てこなかったか、

と言われればウソになる。

だが、僕と彼の間にどんな違いが?

どうせみんな、最後はこの夢見を終了するのだ。


彼は、僕自身が無力感を感じたくないがために、

自分から分離させて外へと追いやってしまった、

〝自分の断片〟でもあるのだ。

だから、彼自身を赦すのではなく、

その人を夢見ている自分自身を赦す。


↑鶏胸肉のお弁当

それから、あの大いなる赦しの日を境に、

自分の中で大きく変わったことがある。

それは、スピリチュアルも奇跡講座もやっていない

普通の同僚たちや友人たちの前でも、コースの話や、

スピ的会話をするようになったことである。


これまでは、自分の心の中で赦しを実践したり、

聖霊兄貴に委ねて明け渡しながらも、

仕事のときはやはり、ああでもなあいこうでもないと、

現実的な問題点や方策を普通に議論していたし、

飲みに行けば、人の噂話に花を咲かせていた。

むしろ、そういう〝個の自分〟さえも、

放っておけばよい、というスタンスだった。

それがなぜか、あの大いなる赦しの日以降、

夢の世界の常識で兄弟たちと関わってゆくのが、

なんだか面倒くさく感じ、ウソっぽく思えてきた。

もう、いつでもどこでも、わたしは神の子で、

自分は今夢を見ています、と言っちゃっていいじゃん、

どうせ誰も存在してないんだし、と開き直り始めた。


それで最近では、全ての人とのおしゃべりの中で、

真理の観点から、感じたり、思ったことを、

バンバン口にするようになった。

それも、なんの無理もなく、自然に…。


くだんの海坊主総経理にも、

「この世界って、現実のように見えるけど、

本当はこれって、寝ている時に見る夢と同じ、

幻想に過ぎないんですよね。」

と、平気で言ってしまったり、

筋トレ中も、トレーナーとの会話の中で、

「肉体って宇宙そのものなんですよね。 

だからこうして筋トレしていると、宇宙のカスが、

どんどん燃焼されていくのを感じます。」

と、自然に語っていたりする。


また、会議の席でちょっと議論になり、

言い合いみたいになったときも、

「僕の代わりにパフォーマンスしてくれて有難う。」

と、相手の顔を凝視しながら本心で言ってしまうし、

飲み会の席で、なぜ結婚しないのか、と訊かれても、

「僕はもう、今回が最後の生になる予定なので、

別に結婚して子供を持たなくてもいいんですよ。」

と、普通に答えたりする。


そしていま、先日解雇したYUIの後任の人材を、

人材エージェントに紹介してもらっているのだが、

担当者から、どんな人材が必要ですか、と訊かれ、

「正しいことと、心が平安であることと、

どちらかを選ぶとするなら、平安を選ぶ人。」

と、何のためらいもなく答えた。


もちろん、相手の反応は「???」である。

しかし僕自身、

故意にこういう答え方をしている訳ではなく、

もう、まるで兄弟てっちゃんと話すように、

自然とこういう言葉が出てきてしまうのだ。

ていうか、

「もう、いいじゃん!ここまで来て何を今さら…。」

という感じである。


ここが全部自分の心の中なのであれば、別に、

会社の人の前ではエゴの常識モードで対応し、

兄弟てっちゃんの前では真の自分モードで接する、

なんてやる必要はない。


まあ、今後どうなるのやら…。楽しみではある。