香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

終わるために生きている



今回の出張は、八丁堀のドーミーインに泊まった。

ここは温泉もあり、朝食もすごく充実している。

それに、いつでも無料のコーヒーが飲めるし、

夜食には、無料の夜鳴きそばまで食べられる。

特に、硬度ゼロの超軟水露天風呂はすごくて、

その湯で髪をすすげば、

髪の毛がサラッサラになった。


そんな土曜日の夕方、

兄弟てっちゃん夫妻がホテルまで訪ねてきてくれた。

人通りのない、廃墟のような土曜の夜のオフィス街は、

開いているレストランを探すだけでもひと苦労だった。

やっと見つけたイタリアンの店でディナーをした。

ほとんど貸し切り状態の店内でいろいろと話した。


兄弟てっちゃんの話の中で特に面白かったのは、

僕たちは、先に自分で答えを決めてから、

聖霊、これはどうしたらいいでしょうか、と訊いている、

ということについてだった。


病気が治ることが正しいと決めたうえで聖霊に委ね、

望みどおりの仕事に就く、ことをよしとした前提で、

聖霊に出てきたびゅんびゅんを明け渡している。

聖霊、お願いします、と言いながらも、実際には、

「こうこうこうなるように、聖霊お願いします。」

とやっていたりする。これなら、神頼みを同じである。


まあ、そういわれればそうかも、と思う。

例えば、

あの電車に乗り損なったとか、何か物を失くしたとか、

そういうネガティブと捉えている物事に対しては、

真摯に向き合い、赦そうとするのだが、

「この電車にぎりぎり間に合った。なんてラッキー!」

というような場合、ああよかった、で終わっている。

「電車に間に合うほうがいいに決まっている。」

という〝エゴが決めたことに対して喜んでいる〟

自分に気づけていないのだ。


まあ、ここまでくると、少しマニアックな気もするが、

香港でひとりコースを実践している僕にとって、

兄弟との語らいは、

そういう微妙な部分まであぶりだして見せてくれる、

とても貴重な時間なのだ。

ワインのボトルを二本空け、モルツのロックを飲み、

イタメシ屋閉店後は、ロイヤルホストへ移動した。

そこで、てっちゃんがダウンしてしまったため、

ホテルの部屋で始発を待つこととなった。

ホテルでは、さおちゃんとずっと話をしていた。

普段から無口な人なので、

二人だけでこんなに話したのは初めてかも…。


いやあ、それにしても、

彼女の自分との向き合い方はハンパない。

他者というものが、彼女の中では、

ほとんど影響を及ぼしていない。


ただ、思ったのは、

今は専業主婦として、一日ひとり家にいる彼女と、

外に出て働いている僕とでは、

内に投影するか、外に投影するかの違いはあれ、

やっているカリキュラムは同じだ、ということだ。

さおちゃんも、将来、外との接点を持った時に、

外へ投影したものを赦すのだろうし、

自分も、家でお籠りしているときは、

自己の内面に向き合って赦してゆくことになる。

要は、表面に顕れていることを見て云々はできない、

というわけである。


また、自分だけに向き合える静かな環境を、

さおちゃんに作ってあげている

てっちゃんの愛もすばらしいなあ、と思う。

俺だったらもう、

「一刻も早くパートにでも出て、

 何でもいいから稼いできてくれーっ!」

ってなるだろう。


とまあ、そんな感じで、朝5時半に彼らと別れ、

僕は一睡もせぬまま、空港へ向かったのであった。

おかげであくる日は〝死んだ〟。


今回の東京も、

なかなか楽しい〝終わらせの旅〟であった。

そして、

その旅は予定通り終了し、ちゃんと記憶になった。

その記憶も0と1のビットとなって、

聖霊兄貴に返されていった。


僕はいま、終わるために生きている。