香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

安心して怒りなさい!


↑東京へ行くときは、機内から富士山を見るのが、
 一番の楽しみなのだ


今日は、突然湧き上がる怒りを、

出して赦すか、出さずに赦すか、という話である。


コース実践者であれば、

普通、ムカッと来た時点で赦しをおこなう。


まず〝ムカッ〟としている自分を捉え、

次に、その〝ムカッ〟は、

目の前で起きている〝この出来事〟によって

引き起こされているのではなく、

無意識の心が神を拒絶したことによって生じた

強烈な罪悪感が、幻想世界に投影されたものだ、

ということを認識し、

最後に、その罪悪感の源を直視して、

それは、はなから起こってなどいなかった、と、

0と1に分解して、ウツボカズラ大放出で、

兄貴に委ねてゆく。


まあ、そういう怒りやムカッを、

表に出す前にとらえ、心の中だけで赦せれば、

それに越したことはないのだろうが、そうは言っても、

気づいた時にはやっちゃってた、って時もある。

それに、心の中だけで赦す方が、学びが進んでいる、

レベル的には上だ、みたいな感覚もあると思う。

その証拠に、怒りを外にぶちまけた後には必ず、

強烈な後悔や後ろめたさにさいなまれたりするし、

コース教師が誰かを怒っているのを見たら、

「ああ、この人はまだこんなところにいる。」

と、がっかりしてしまったりする。


しかし、それは違うのだ、と最近気づいた。

心の中だけで赦すか、感情を外に出して赦すかは、

すべては聖霊の采配による、と分かったのだ。

相手に怒りをぶちまけた方が終わらせやすいと、

聖霊が判断したらそうなるだろうし、

静かに自分の怒りと向き合った方がいい場合は、

自然と聖霊がそういうふうに持ってゆくだろう。

要するに、どっちが正しいかなんて、

個の自分には判断できないのだ。

だから、

「ああ、この人と言い争っちゃった。

 コースを実践しているのに、まだまだダメだな。」

なんて、自分を咎める必要など全くない。

怒りを出した方が終わらせやすいときもあれば、

内面だけで明け渡した方がいい時もある。

それを決めるのは聖霊であり、個の自分ではない。

気づいた時点で明け渡せばいいだけの話である。


ただ、その時に決して忘れてはならないのは、

ケンカ(赦し)の相手を買って出てくれた兄弟に対する

信頼と感謝だ。


↑ある日の昼のお弁当。
 鶏の胸肉と炭水化物ゼロのうどん。

最近では僕も、

滅多に怒りをぶちまけることはなくなったが、

それでも、ごくたまーに、

普段なら難なく〝起こるに任せて〟いられるような、

些細な出来事で怒ったりすることがある。

で、今日もそれだった。


夕方、シッピング担当のアップルが、

荷積みの際に破損した製品の保険請求を、

保険管理会社にしたところ、そこの営業担当者から、

貨物保険の期限が昨日で切れているので、

請求はできない、と言われた。


うちの会社は、

普段からこういったトラブルを防ぐために、

保険会社と直接取引はせず、

貨物保険やオールリスク、海外傷害保険など、

複数の保険を一括で管理してくれる会社に、

全てを任せている。

なのに、期限が切れているから知らん、とは何事か!

営業担当に電話をすれば、平然とした口調で、

「満期が迫っている事は、何度かメールで、

 アップルさんに伝えてありますよ。」と言う。

ムッカーッ!とくる。


「メールをしたら、それでええんか?

 返事をよこさんかった、こっちが悪いってか?

 アホか!ふざけんな!お前、営業やろ。

 ちゃんと事前に電話してフォローせんかい!

 舐めたこと抜かしたとったら、しばき回すぞ。

 おるらーっ!こるらーっ!」


まあ、ここまで下品ではないが(と思う…)

上西議員の秘書も真っ青、というくらい、

広東語でガンガンまくし立てた。

会話を聞いていたケリーも、アップルも、

みんなドン引き!

自分が自分に文句を言っているのは百も承知だ。

そうは言っても、止められないものは仕方がない。


しかし、この時、僕の中では、怒りまくりながらも、

〝出すことによって赦そう〟という意志があった。

相手を買って出てくれている、

もう一人の自分である兄弟を信頼しつつ、

絶対に終わらせるんだ、と決意しながら、

ほとばしる言葉を出るに任せていた。


電話を切って、しばらくしてから、

その保険管理会社の日本人総経理から電話があり、

その営業マンが三井住友海上と交渉してくれた結果、

今回の保険請求はちゃんと受けられることになった、

と告げられた。


みんなが退勤したあとのオフィスでひとり赦した。

心の中のカラクリを見つめ、大放出させていった。

そのとき、今回の件を通して投影された怒りは、

たとえ、

表現する前に怒りを捉らえられていたとしても、

だんまりむっつりで赦すのは不可能だったな、

としみじみ感じた。

そのために、嫌な役を買って出てくれた兄弟がいた。

営業マンの彼も、アップルさんも、愛だったのだ。


赦すことを意志した時点で、もう聖霊と繋がっている。

だから、逆に今度、

兄弟からどんな感情をぶつけられたとしても、

僕もしっかり受けて立とう、と思うのだ。