香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ごっつあんです!


↑夕方の退勤ラッシュ(午後6時半の金鐘駅)
自分を含めた全ての兄弟は、それぞれ、

ひとつの心の別の側面でしかない、と悟って以降、

ひとつの心の位置から兄弟達を見るようになった。

変な例えだが、それはどこか、

自分で自分の指や脚を眺めている感覚に似ている。

言ってみれば、他者を批判することは、

自分の〝ほっぺ〟が〝お尻〟に対して

文句を言うのと同じことのように思えてくるのだ。


それに伴い、赦しのほうも微妙に変化してきた。

捉えて、認識して、手放す、という方式以外に、

日々、肉体として出会う兄弟たちが、

ひとつの心に戻ってゆくのをただ赦す。

ほっぺはほっぺ、として、お尻はお尻、として、

まず、同じものの違う側面だと認知したうえで、

それを受け入れ、ひとつへと還るに任せる。

そうすると、

たとえ自分の目の前で、どんな人が何をしていても、

それは、ひとつの心の違った一面であり、

ただ心へと戻ってゆくために顕れているだけだ、

というふうに認識されてくる。


やがて、もっと進んでくると、

自分 対 他者という単一的な視点だったのが、

ひとつの心から 

自分や他者を見ている視点へと移行をはじめ、

やがて、他者や自分を、

ひとつの心と同化した存在として捉えはじめる。


そんな見え方で数日を過ごしているうち、

全ての人の奥から、なんて言うか〝聖なる感じ〟

みたいなものが滲み出てくるのを感じ出した。

それは、有難いような、歓喜のような、泣きたいような

何とも形容しがたい塊りのようなものなのだが、

それぞれ違う人としての認識の奥に、

同一の実相が輝いているのが見える。


そうやって、ここのところ、

一歩ずつ階段を上るように、兄貴から様々な気づきを、

計画的に置かれていっているような気がする。

僕の場合、電車の中でぼーっとしている時に、

〝はっ、そうだったのか〟と理解が起こることが多い。

なので、電車で何もせず、ボーっとしていることが、

とても楽しみになってきている。

ああ、そうそう。

ケリーの後釜がついに決まった。

シャーマンさんという、

とても穏やかで、優しい雰囲気の女性。

ひとつの会社での在籍年数も長く、

安定して長く勤務してくれそうだ。

まあ、ここ香港では、出社前日になって、

ドタキャンされることも多々あるため、

まだまだ油断はできないのだが、

それもまた、自分の心のひとつの側面であり、

消えてゆく姿として、赦してゆくだけである。


そういえば、今回の〝ケリー後任探しの旅〟では、

たくさんの兄弟たちに、

罪悪感の投影を解除する手伝いをしてもらった。

本当に感謝しかない。


で、いま気づいたのだが、

よくよく考えてみたら、俺って、

仕事中も赦ししかしていないんじゃないのか、と…。

これで、家賃を払ってもらって、

お給料までいただけるなんて…。

社長、ごっつあんですっ!


とまあ、何はともあれ、

ケリーの後任も決まり、

これで無事に春節を越せるというものだ。

ひゃっほーい!