香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

最速で取り消す


↑毎朝の通勤途中、川面に反射した陽光が、
 高架のコンクリートに映え、とってもきれい。


今日は〝全托〟とは真逆のことを書く。

これまでも述べてきたが〝真の全托感〟というのは、

あくまで、自然発生的に起こるもので、

全托で行こう、と実践してそうなるものではないし、

頭で理解しているからOKでもない。

それが来るまではやはり、

粛々と赦しを行なう必要がある。


そのなかで、もし、最短距離で、

永遠に夢の世界から去ろうときめたのであれば、

今、やりたいと思っている事や、やり残している事、

また反対に、まだ解決できていない事柄などは、

肉体レベルで、きちんと終わらせておいた方がいい、

という話である。

小さい頃、母方の大叔母が、死の床に伏していた時、

自分の家族や、見舞いに来た一人一人に対して、

「本当にあの時は意地悪をして本当にごめんな。」

「あの時、ひどいことを言って悪かった。赦してな。」

「あの時は辛い思いさせた。済まんかった。」

と、涙ながらに謝罪し、持っている現金や貴金属を、

一人一人に渡していたのを今でも鮮明に覚えている。

うちの母も、大きなヒスイの指輪と、

友禅の和服をもらっていた。


大きな農家に嫁いだ大叔母は、

嫁をいびり抜き、おしゅうとめさんをイジめ抜き、

少しでも大叔母に立てつけば10倍返しで来るような、

それはもうきつい人で、親戚の間でも有名だった。

そんな人が、死の淵にあって、どうして、皆に謝罪し、

現金や貴金属を分け与えたりしたのだろう。

それは、死を前にして、

まだ生きているうちに、ちゃんと〝業〟を清算し、

プラマイゼロにしておきたい、という、

無意識からの行動だった、と推測する。


それで、何が言いたいかというと、

歌いたい、絵を描きたい、セドナに行きたい、

または、あの人にもう一度会って和解したい、

など、父が待つ故郷へ帰還する前に、

もし、やり残している事があるのであれば、

僕達はまだ肉体を持っているので、

ただ柱の陰でチマチマ赦して明け渡すより、

形のレベルで行動し、貸し借りチャラにして、

さっさと終わらせた方が手っ取り早い、ということだ。

実際に会って謝るとか、行きたい場所へ行くとか、

償うものは償い、果たすべき責任は果たすことが、

幻想の罪悪感を確実に取り消す一番の方法だ。


だって、

いくら、神しかない、世界なんて存在しない、

聖霊を感じているだけで赦していることになるんだ、

と言ったって、無意識(←ここ重要!)の心が、

それを信じていなければ、何をやったって無駄である。

なぜなら〝全托状態になること〟が起こるまでは、

無意識の心が聖霊を選ぶことを拒否するからだ。

それが〝罪悪感のカス〟となり、結局、

借金返済のために、再び舞い戻ってくることになる。

それであれば、まだまだ時間はあるのだから、

実際に行動して取り消した方がスッキリする。


例えば、

自分の子供を立派に育て上げる、借りたものは返す、

やりかけた仕事をちゃんと最後まで終わらせる、

好きな人と最後まできちっと添い遂げる、

逆に、情で付き合っていた関係を清算し、

新たに人生をやり直す、などなど…、

起きていることは、自分の心の写し絵でもあり、

自分が何を手放さないかを見せてくれる象徴なので、

それらをちゃんとやり遂げ、終わらせることは、

もっとも確実な赦しであり、明け渡しとなる。


僕の場合、

実際に、相手がどう思っているかは別として、

罪悪感を感じるような人は今のところいない。

うーん、ただ強いて言えば『ジンジャータウン』は、

ちゃんと一冊の本にしたいなあ、というのはある。

なので、それに関しては、行動に移して行くと思う。


というわけで、またまたまた三連休!

今回は、中国への返還記念日である。

今回の連休は、マッサージに行ったり、TVを観たり、

クラブで騒いだり、やりたいことをして過ごそうっと。