香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

大いなる光線



月曜日の朝、香港を直撃した台風は無事に去り、

僕も、夕方の便で何とか上海入りすることができた。

それも、滑走路が混みに混み、

飛行機が飛んだのは、午後7時過ぎだった。

結局、ホテルに入ったのが午後11時となり、

オシャれワインバーは、お預けとなってしまった。

そのかわり、機内でワインをしこたま飲んだ。

ということで、最近、

実相側の視座から世界が見えるようになっている。

そうこうするうち、周囲の人たちやモノの輪郭が、

光を放っているように明るく光って見えはじめた。

時折、閃光のようなものが走るときさえある。


こんなとき、奇跡講座の第16章に出てくる

〝橋を渡る〟という言葉を想い出す。

橋は聖霊であり、橋の向こうは実相世界を顕わしている。

そして、橋の向こう側へ渡る、というのは、

実相側から世界を見るということと同じである。


橋を渡った場所から世界を眺めると、

世界は大いなる光線で覆われており、

この光線の中で、世界が全体として捉えられる。


家族、パートナー、ペット、親友、恋人、または、

安室奈美恵みたいに自分の支えとなるアイドルなど

過去においてであれ、現在においてであれ、

どんな人にも、かけがえのない大切な人がいる。

しかし、そんなかけがえのない大切な人のことでさえ、

ある部分だけはどうしても許せなかったり、

かと思えば、ある部分だけがすっごく好きだったり、

また、ある時はその人の全部を好きになり、

ある時は全部が大嫌いになったり、する。

要するに、

〝橋のこちら側〟で何をしているのかと言えば、

その人をピンポイントでしか見ていない。


その時々で発生する様々な出来事の状況に応じて、

その人の、ある点の部分だけにフォーカスし、

好きだ、嫌いだ、と言っている。


しかし、

地球も遠くから見れば完璧な球体であるのと同様、

その人の全体は完善である。

なので、相手を神の子として観るということは、

その人を、ピンポイントではなく、全体をひっくるめた

トータルのひとつの光として観る、ということなのだ。

それが、橋の向こう側から見る、ということであり、

相手は完璧だ、という観方に繋がる。

というわけで、火曜日の今日は、朝から、

税務局やら、銀行やら、証券会社やらを飛び回った。

税務局の担当官はとても怖いおっちゃんで、

まるで刑事に尋問されているみたいだった。

山根会長以上で、同行した会計事務所の女性は、

あまりの怖さに、面談を終えると、胸を抑えて、

その場にうずくまってしまったほどだ。

それで、後で教えられたのだが、この税務担当官は、

一年前に上海事務所を解雇した女性事務員と、

とても懇意にしていて、今でもやり取りがあるらしい。

夜、ホテル近くの食堂で、通りの様子を眺めつつ、

ひとり、水餃子を頬張りながら、ビールを飲んでいた。

椅子を並べ、おばさん達が井戸端会議ををしている。

角刈りの兄ちゃんがうつろな目で煙草を吸っている。

おじいさんがズボンにアイロンをかけている。

こんな光景をぼんやりと眺めていたら、突然、

「これって、ただ事象が湧いて出ているだけじゃん。」

と、何とも形容しがたい強烈な感覚に襲われた。

ただ、起こることが起こっているだけであり、

これには何の意味もなく、実相とは何の関係もない

と…。


今日、面談したあの税務官とのやりとりも、

去年解雇になった、あの女性事務員との出来事も、

ただふっと、そこにそれが起こり、

消えて行っているだけであり、それに対して、

なんやかんや思っている自分の思いも、雲のように、

ただ渾然と湧き上がっては消えて行っているだけだ。

そこに個なんかない。故に、罪もあるはずがない。

ただ、消えてゆく波として見送るだけでよかったのだ。


↓上海事務所女性事務員とのやり取りの記事はこちら↓上海こわい! - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー


それからなんだか、とっても楽な気分になり、

ホテルでしこたまワインを飲みまくったボクであった。