香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ヤクザな世界から足を洗う(退出江湖)

f:id:shusaku1:20190913013313j:plain

 

今日は、上海で一緒だった弁護士さんと、

 

香港ゲートウェイのバーで打ち合わせをした。

 

当初、打ち合わせを終えると事務所へ戻る予定だったが

 

ワインを一杯頼むともう一杯がタダになる、と言われ、

 

昼間からグイグイやってしまった結果、直帰と相成った。

 

 

家へ帰る道すがら、通りですれ違うたくさんの人たち、

 

高層ビルの数々、喧騒、夕空、弁当屋に並ぶお弁当、

 

を見て、愛と感謝と歓びが、わわっ、と込み上げてくる。

 

日常を通して、心の中の神を観じているんだな、と思う。

 

自分はいま、神の声を聞いているのだ。

 

f:id:shusaku1:20190913013308j:plain

 

ハートのエクスタシーを感じながら日常生活を送るとは、

 

ズバリ、大恋愛の真っ最中に感じるキュンキュンを、

 

10倍くらい強力にしたエクスタシーで24時間を過ごす、

 

という感じに似ている。

 

ただ、大恋愛には相手が存在するが、

 

ハートの悦(エクスタシー)は、誰がいてもいなくても、

 

何が起こっても起こらなくても、ずっと流れ続けている。

 

 

全く同じではないが、身近な例で説明すると、

 

夕焼けの美しさ、誰かの小さな親切、美味しい食物

 

大好きな人に対する愛おしさ、の背後に流れている、

 

言葉では表現できない不変の愛と歓びの感覚、または、

 

誰かを死ぬほど好きになり、もう、本当に好きで好きで、

 

この人さえいれば、他に何も要らない、となったときの、

 

その何とも御しがたい幸せな感覚、

 

それが、ハートの〝悦〟(神の理解)の感覚に近い。

 

 

本来、その感覚だけに留まっていればよい話なのだが、

 

恋愛で言えば、相思相愛となった二人がデートを重ね、

 

セックスをし、互いの生い立ち、性格、趣味、仕事、収入

 

などを知るにつれ、当初、相手に対して感じていた、

 

純粋な愛の感覚が歪みはじめる。

 

 

あの人の実家は裕福だとか、お義母さんが偏屈だとか、

 

スリッパを履かずに素足で家の中をうろうろするとか、

 

果ては、セックスがいまいち、といった解釈によって、

 

ハートが自我に取り込まれ、そこから争いが始まる。

 

それでも、ここさえ我慢すれば他は許容範囲、という、

 

むりくりな解釈によって関係は維持され、

 

すったもんだやりながらも、結婚、出産、育児、孫の顔、

 

に至ってフィニッシュとなる。

 

 

f:id:shusaku1:20190913013301j:plain

 

って、何ですか、これ…?

 

相手の具体的な生い立ちや職業や性格を知ることが、

 

相手を理解することだ、と僕たちは信じて疑わないが、

 

実際、こんなの理解でも何でもない。

 

本当の理解は、当初感じていた、

 

「この人が好きで好きでたまらない。」のままを感じること

 

それが、神が自分を好きで好きでたまらない気持ちだと、

 

智っていることが真の理解となる。

 

 

というわけで、つい最近まで、この現実世界で、

 

幾多の〝浮世〟(笑)を流してきたボクであるが、

 

直接ハートそのものとして存在し始めると、

 

もう、ハートへ入ってゆくのに、

 

趣味や、ペットや、美味い食物や、恋愛や、家族、

 

といった〝呼び水〟を必要としなくなる。

 

なので、兄弟との肉体を使ってのハートの交流は、

 

もう卒業かな、と思っている。