今日の香港の気温は摂氏19℃。
僕にしてみれば、長袖シャツでちょうど良い季節なのだが
香港の人たちは、待ってました、とばかりに、
首にマフラーを巻き、薄手のダウンジャケットを羽織り、
革のブーツを穿いて街を闊歩している。
幼稚園児や小学生も、着ぶくれてコロコロしている。
それでいて、店やオフィスやバスの中は冷房ガンガン、
毎年書いているが、この人たち、もう訳がわからない。
12月は、クリスマスに5連休、年末年始に6連休となり、
こんなに休みがあるのなら、どこか旅行にでも行こうか、
と一瞬考えたが、やっぱりお籠りをすることにした。
そう言えば、
今年は、出張、出張で、出ずっぱりの一年だった。
せめて年末くらいは、誰にも邪魔されず、ひとり静かに、
内なる神を旅しながら過ごしたい、と思ったのだ。
(※おお、カッコいいーっ!)
最近、世界に反応せず、ただ見すごす、というワークを、
ちょっと、いや、かなり本気で実践している。
必死で頑張って、修行のようにやる、というのではなく、
反応せずにただ見すごしていると、心が真空になり、
そこから〝神〟が自動的に湧き上がってくるので、
その、愛と感謝と平安が混ざり合った、
何とも形容しがたい心地よさを体験したいがために、
世界を置き去りにしている、と言っても過言ではない。
しかし、そうは言っても、
実践レベルで、世界に反応しない、ただ見すごす、
を実行してゆくのってなかなか、いや、非常に難しい。
「エゴに反応しないことが大切ですね。」
と、コースの教師たちはさらっと語ったりするが、
実際には、そんな、生易しいものではない。
言ってる教師本人ができていなかったりするし、
そんなんで実践できてたら、今頃全員天国だよ。
最初のうちは、
反応してしまっている自分にハッと気づき、そこから、
兄貴と共に、これは夢で反応する必要はない、と、
ひたすら思い出してゆくしかない。
それでも、継続は力なり、とはよく言ったもので、
根性すえてやっていくうち、やがて世界が、
映画のスクリーンのように平面的に見え始めた。
空間に奥行きが感じられず、
広い空間の中に自分がいる、という感覚から、
自分対スクリーン、というふうに、
自分と映像の間に隙間ができ始めたのだ。
そして、今日、気づいた。
この隙間から、
戻るべき故郷の光が垣間見えている、と…。
そして、隙間の方がリアルになってくるにつれ、
自然と、VRの映像に反応しなくなってくる。
ていうか、あまりに故郷のほうがリアルすぎて、
虚像になど反応できない、というのが本音である。
やはり、まず神ありき、なのだ。
神の歓び、神はここに在る、が入っていないと、
真には赦せない、と気づいた今日この頃である。