香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

みぞおちの中の兄貴

f:id:shusaku1:20200503172218j:plain

今日は、在留邦人の住所変更届を出しに、

 

セントラルにある日本国領事館まで行ってきた。

 

多くの日本人が帰国しているせいもあってか、

 

待合室に人は皆無で、手続きは10分で済んだ。

 

f:id:shusaku1:20200509145743j:plain

 

以前、聖霊兄貴が自分と同化しつつある、と書いたが、

 

昨日の〝香港ドルのユニット株どうする事件〟以降、

 

なんか、聖霊がずっと僕のみぞおちの辺りにいて、

 

見るもの聞くもの触れるもの、を片っ端から、

 

ひとつの解釈へと変換していっている感じがするのだ。

 

 

すれ違うサラリーマン風の男性が目に入れば、

 

サラリーマン風の男性 ⇒ 神とすれ違った、

 

これどうするんですか的な業務メールを受け取れば、

 

責められている感じ ⇒ 神から言い寄られている感じ、

 

店員さんから、ありがとうございました、と言われれば、

 

店員さんのサービス ⇒ 神から感謝されている

 

と言う感じで、瞬時に解釈が神へと置き換えられてゆく。

 

 

聖霊に訊く、聖霊に教えてもらう、と言うより、

 

ずっと聖霊がみぞおちの中にいる感じ。

 

脳ではなく、みぞおちの奥から〝神の想い〟が来る。

 

世界が〝神〟というひとつの解釈に置き換わることで、

 

無数の解釈で成り立っていた世界が無くなる。

 

なので、世界は無くても、見えるものは見えているし、

 

起きることは起きていて、するべきこともちゃんとできる。

 

f:id:shusaku1:20200503172430j:plain

 

それでもまだ、先日の〝コーヒーカップ事件〟のように、

 

様々な解釈は出てくるのだが、それも即座に、

 

みぞおちの辺りで〝神の愛してる〟に変換されてしまう。

 

 

僕のように会社で仕事をしていると、もう次から次へと、

 

様々な出来事が勃発し、様々な思いが湧いてくる。

 

だが、その度に立ち止まり、解釈を止める、

 

なんて芸当をやっている余裕も時間も全くないので、

 

やはり僕の場合は、先に〝神〟を智り、

 

神というひとつの解釈から見たほうが手っ取り早かった。

 

 

というわけで、明日はいよいよ全人代で、

 

香港の国家安全法が審議(挙手賛成)される日である。

 

もう何が起こっても起こらなくても、神でしかなく、

 

故に、それは本当に起こっては無かった。