
あんなこと言わなきゃよかった、
なんでこんなものを買ってしまったんだろう、
ああ、傘を持ってくるの忘れた、しまったぁー、
あの時ああしてたら、こんな事にはならなかったのに、
と、僕たちの毎日は〝後悔〟の連続である。
今日数えてみたら、
これ以上でも以下でもない後悔が、21個あった。
それで、何をしたってどっちみち後悔するのなら、
後悔することに意味はないと気づいた。(笑)

どういうことかと言うと、
僕が会社を辞め、香港から日本へ完全帰国した当初、
ものすごい後悔の念にさいなまれた。
完全に判断を誤った、と思った。
あの時、会社を辞めていなければ、
今でも東京本社でバリバリ働いていたのに…、とか、
ナンチャラ部長として65歳まで行けたのに…、とか、
香港に残っていた方がもっと自由に暮らせたのに…、
と、会社員のキャリアと安定した収入を
自ら放棄した後悔と不安感にのたうち回っていた。

しかし、思うのだ。
あの時、
東京へ帰任して会社員を続けていたらいたで、
日本の会社のやり方や雰囲気になじめず、
うつ病みたいになって、
やっぱり後悔していただろうし、
香港に残ったとしても、
なんであの時日本へ帰らなかったのだろう、と、
その後の香港の厳しい社会情勢に直面して、
すごく悔やんでいたと思うのだ。
要するに、後悔する人って、
どんな答えを出しても後悔するのだ。

どの道に進んでも結局後悔するのに、
「こっちの道を行って、おまえ、しくってもうたなあ!
あっちの道を選んでたらこんな事にはならんかった。
あ~あ、やってしもたなあ!」
と、自我は、どっちの選択をしても、
もうひとつの選択の方が正しいように言って来る。
いやいや、
どっちを選んでも同じように後悔するんだったら、
どっちを選んだって同じじゃないか!
だったら、逆に、どっちを選んでも正解じゃないか!
そのカラクリに気づいた瞬間、
後悔なんて意味がない、と心底思えるようになった。
後で自分が何と思おうと、
過去のその時のその瞬間に自分が選択したことは、
どんなことがあっても絶対にそれで正しいんだ。
問題は、それを後悔させようとして全力でやってくる
自我のささやきにある。
過去を後悔することは、今を否定することになる。
あの時、あの選択をしなかったら出会えなかった、
いま、自分の目の前にいる人たち、
僕の生徒たちや日本に帰ってから知り合った友人、
を否定することになる、と思ったのだ。
後悔しないようにやりたいことをやろう、とか、
後悔するのをやめよう、というのではない。
後悔するならしたっていい。
なんなら、思い切り後悔して大笑いしてやる。
なんだか、話がとっ散らかってしまったが、
後悔してもしなくても、それ自体に意味がない、
だから大丈夫なんだ、ということが言いたかった。
おやすみなさい。