
👆卒業生の手紙(キリスト教大学にて)
先週書いたブログ13周年突破の記事の中で、
夢の終わりに、父が待つ故郷へ永遠に帰る時が来て、
この夢の中で体験したすべての記憶が、
寝ている時に見る夢と同じように、
目醒めたと同時に全て消え去ってしまうとしても、
自分は神の一歩をじっと受け入れることができるのか、
というようなことを書いたが、僕はちょっと自信がない。
もう、いつ故郷へ帰ってもいい、と言いながらも、
いざ神が駆け寄ってきたら反射的に身をかわすだろう。

神の一歩とは、
突然自分に向かってツッコんでくる車かもしれないし、
誰かに首を絞められることかもしれない。
大川に身を落とし、流されていくことかもしれない。
後光を背にしたJが、天使と共に舞い降りてきて、
自分を天国へ導いてくれるわけではない。
Jは、何があってもじっとしていなさい、と言っている。
それは、本当に物理的にじっとしてろ、という意味だ。
また、死んでも魂は永遠に生き続け、死ぬことはない、
というのも、すでにスピ界(笑)の常識だが、それもまた、
死んでも個の私は保たれることへの慰めでしかない。
私と思っている意識がある限り、
その私が赦しをしている限り、絶対に目醒めない。
自分というものが完全に抜け落ちたとき、
神の一歩が始まる。
※ 私がいないという原理について、インスタライブで
お話をしようと思っています。(GWのいつか)
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@hoshitani