香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

人生の一本道

 

 

 

僕の人生はずっと一本道だったんだなあ、ということが

 

ここへきて、ようやく、腑に落ちて、わかってきた。

 

中国へ留学したのも、香港へ駐在したのも、

 

日本で広東語の教本を出版したのも、

 

台湾で小説本を出したのも、日本へ帰国したのも、

 

何ひとつ、自分で決めたものではなかった。

 

もう完璧に、そうなっていたのだ。

 

 

あの時、別の決断をしていれば、ああはならなかった、

 

あの時、こっちを選ばなければ、もっとこうなったはず、

 

人生にはいくつもの分岐点があって、

 

自分がどちらを選ぶかで、未来が変わってくる、

 

と思っていたが、そんなことにはなっていなかった。

 

どんなに迷った末の決断であっても、その決断が、

 

ふっと湧いてこない限り、決してその決断ができない。

 

ああ、やってしもた、と思った時にはもう終わっている。

 

だから、僕たちの人生は全て、後付けであり、

 

なんていうか、一瞬前の過去を生きてる感じ…。

 

 

じゃあ、全ての運命は生まれた時から決まっていて、

 

自分ではどうにもできないので諦めるしかないのか、

 

というと、これまたそうではない。

 

そもそも、運命をどうにかできる自分など存在しない。

 

別の言い方をすれば、全ての運命は、

 

今この瞬間瞬間にでてきた〝ふっ〟で決まっている。

 

自分無しに、

 

瞬間、瞬間、瞬間、確定、確定、確定、の連続である。

 

ただ、一瞬一瞬の変化があまりに高速すぎるので、

 

意識が捉えた時にはすでに終わってしまっている。

 

なんかもう、過去を生きてるような感じ。

 

だから、絶対に迷いようがない、というか、

 

迷った時には終わっていて、次のが来ている。

 

 

会社Aと会社B、両方採用になった。

 

会社Aは給料高いけど、人間関係きつそうだな、

 

会社Bは人間関係はラクそうだけど、残業あるしな、

 

とさんざん迷った挙句、会社Aにして大失敗、

 

となっても、迷ってる思いがその都度その都度、

 

ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、と出て来て、

 

会社Aにする思いがふっと出てきて、

 

結果、大失敗、という思いがふっと出てきて、

 

というふうに、本当は自分で会社Aを選んでない。

 

だから、失敗しようがない。

 

そして、一切の抵抗をやめて、この〝ふっ〟に、

 

抵抗しなくなり、一切を委ね切ってしまった瞬間、

 

僕は限りない解放と自由を感じた。

 

そうすると不思議なことに、

 

思いもよらない巡り合わせで、一件落着したりする。

 

 

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じゃあ、人をあやめたような犯罪者はどうなんだ、

 

自分でその罪を犯していないというのか、と、

 

当事者ではない人がお節介にも色々推測して、

 

ツッコんだりしてしまうが、それもまた、今この瞬間に、

 

その考えが、ふっと自然に出ているだけである。

 

仮に、実際に人をあやめた人が、その質問をしても、

 

それを言っている時にはもう犯罪は終わっていて、

 

今この瞬間の姿は、刑務所の壁、だったりする。

 

要するに、全部、終わってから考えてるだけである。

 

 

 

瞑想の極意

 

 

 

最近、NHKがすごい。

 

《あしたがかわるトリセツショー》という番組の中で、

 

科学的に解明されたメンタルケアと題して、

 

様々な瞑想を紹介し、そのメカニズムを解明していた。

 

 

 

 

まず、禅のお坊さんは本当に〝無〟になっているのか、

 

を確かめるために、脳波の装置をつけて座禅をする、

 

という実験をした。

 

結果、禅の導師も、ずっと無になっている訳ではなく、

 

自然に出てくる雑念に気づいては、それを許容し、

 

また無に戻る、を繰り返していることが判明した。

 

 

 

 

次に、呼吸に意識を向けることで雑念が静まる、

 

マインドフルネスという瞑想法が紹介され、

 

幾人かの被験者に、その方法を毎日10分間

 

やってもらい成果を確かめるという実験がなされたが、

 

すぐに雑念に支配され、10分間も続けられない、

 

という人が続出した。

 

 

 

 

そこで、最後に紹介されたのが、

 

カジュアル瞑想、という瞑想法で、これは、

 

日常生活の中の今この瞬間に注意を向け、

 

好い、悪い、好き、嫌い、の判断をせず、

 

見えるもの、聞こえるもの、味、匂い、肌感覚、

 

といった5感をただ感じながら生活する、

 

という瞑想法だった。

 

 

 

 

例えば、お茶を入れて飲む、という行為を、

 

急須を通して感じる湯の温度、湯が茶葉に溶ける様子

 

茶が茶碗に注がれるときの香り、その緑色の美しさ、

 

といった瞬間瞬間の様子を感じながら行なうことで、

 

今この瞬間に注意を向けることができ、

 

思考の苦しみから解放される、というものだ。

 

 

👆 なんかカワイイ子だなあと思ってたら

      ナビゲーターは石原さとみだった

 

 

このカジュアル瞑想を、さっきの被験者たちに、

 

やってもらったところ、それぞれ、電車の音を聞く、

 

珈琲の豆を挽く、歯を磨く、ヘアアイロンをかける、

 

という行為そのものが瞑想になることが判明し、

 

全員のストレス度が激減したことが証明された。

 

 

 

 

この番組は、宗教色やスピリチュアル色を排して、

 

科学的な根拠に基づいた瞑想を紹介する、

 

という趣旨で製作されたものだったが、

 

〝いまこの瞬間に注意を向ける〟

 

というフレーズが出てきたこと自体、

 

僕的にはものすごく画期的に思えた。

 

 

 

 

ただこれだと、雑念に気づいている〝わたし〟がおり、

 

まだ、

 

今この瞬間を見ている〝わたし〟という存在がいる。

 

本当は、見えているそのもの、聞こえているそのもの、

 

感じているそのものの動き、だけしかない。

 

そもそも、瞑想をしている〝わたし〟なんかいない。

 

 

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しかし、究極の境地を以って、それは違うんですよ、

 

というのは、あまりに乱暴すぎると思うのだ。

 

それぞれが、それぞれのプロセスに在るだけなのに、

 

それを、それは違うんですよ、と、安易に、

 

上の視点から否定してはいけない、と思うのだ。

 

 

僕らの時代-6

👆2009年1月 森ノ宮のアパートで撮影

 

ようやく夏休みに入って一息ついたので、

 

久々に大学時代の友人、孝弘とランチ&お茶をした。

 

ランチは家の近くにある大衆イタリアンの店で、

 

イタリアンなのに、なぜかランチメニューが、

 

キーマカレーとから揚げで、でも、味は美味かった。

 

 

👆 孝弘のゴミ屋敷を散策する雄太(笑)

   でもこの部屋、なあんか味があるんだよねえ

 

前回彼に会ったのが去の11月25日だったから、

 

まさに一年半ぶりの再会となる。(ブログ調べ…)

 

前回会った時よりも、彼はすごく太っていた。

 

それも、腹だけが、妊婦くらいに太っている。

 

聞けば、糖尿病がまた再発しているのだという。

 

それでも、

 

生活も落ち着き、元気そうではあった。

 

 

 

 

彼は、あれから、大学時代から住んでいた森ノ宮の、

 

あのゴミ屋敷アパートを追われ、

 

色々物件を探したのだが、病気のこともあって、

 

どこも入居審査が通らず、最終的には、

 

担当のケアマネさんの紹介で、鶴橋にある、

 

グループホームの施設に住んでいる。

 

で、そこの施設の門限が夜9時で、おまけに、

 

5時半の夕食の時間には帰らねばならない、

 

というので、じゃあランチにしようということになった。

 

 

👆 永遠の妊娠8か月~(爆)

 

 

今の彼の一日は、

 

朝、YOUTUBEで阪神の試合のハイライトを見て、

 

それから、自炊で和食中心の朝食を作って食べ、

 

2社の新聞をゆっくり読んだ後、昼飯を作って食べ、

 

午後は、

 

古本屋で買った本を読んで夕方まで過ごす。

 

また彼は、そこの施設の紹介で、ある事業所の、

 

農作業を手伝う仕事をするかもしれない、と言った。

 

彼の過去については、以前このブログに書いたので

 

割愛するが、本当に大変な時期をくぐり抜け、

 

今こうして、穏やかに暮らしている彼を見ながら、

 

本当によかったなあ、と心から思うと同時に、

 

彼を見ていて感じるのは、

 

人って、どんなに辛く、苦しい境遇にあろうと、

 

最後はちゃんと成るようになり、

 

死ぬまでは生きられる様になっているという事実だ。

 

それに彼は、

 

過去を後悔するわけでもなく、また憂うこともなく、

 

淡々と、今この瞬間の事実を受け入れて生きている。

 

僕が、物書きの好奇心で、根ほり葉ほり聞くから、

 

こうだったああだった、と答えてくれるのだが、

 

その事柄にとらわれることもなく、飄々としている。

 

商店街の八百屋の前を通りかかった時も、彼は、

 

「うわ、キャベツ1個58円や、やっすーっ!」

 

と大興奮している今の姿だけで生きている。

 

もうこいつ、悟ってるんちゃうか、と思うほどである。

 

 

👇 僕と雄太と孝弘の物語

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イタリアン食堂のあと、坂井珈琲でだべった。

 

僕は、来週からの夏休み一杯、どこも行かず、

 

小説創作だけに一点集中して過ごす、と宣言した。

 

孝弘に宣言すると、なんか、できそうな気がする。

 

いつか、一緒に酒を飲みたいものである。