香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛は否定しない

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ここのところ、

 

きゃんきゃん吠えまくるスピッツのように、

 

愛、愛、愛、とうるさい限りの僕なのだが、じゃあ、

 

愛を感じている時の感覚とはどんな感じなのか、

 

と僕なりに考えて見たところ、

 

それは、何から何まで肯定されている感じ、

 

少しの否定もない感覚、なのかな、と思った。

 

 

というのも、今日会社で、3人の日本人女性と、

 

電話で業務上のやり取りをしたのだ。

 

一人は、コピー機の担当者で、

 

コピー機を引き取ってもらう日にちの算段をした。

 

もう一人は、会計事務所の担当者で、

 

所得税申告についての質問をいくつかした。

 

最後の一人は、人材会社の人で、

 

転職先の会社について色々打ち合わせをした。

 

その際、具体的に何があったという訳ではないが

 

先方の受け答えや反応の仕方に対して、

 

こっちはそういう意味で言ってるんじゃない、とか

 

この人、絶対、鼻であしらってるよな、といった、

 

自分の中の相手を否定する気持ちに気づいた。

 

そして、次の瞬間、ああ、もうこんなのイヤだ、

 

俺はもう絶対に誰をも否定したくない、

 

という強烈な想いに凌駕された。

 

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僕の場合、先ずは、

 

他人を否定しても自分を否定しない、

 

他人を責めても自分を責めない、

 

他人を差し置いてでも自分に優しくする、

 

他人に何を言われても自分を肯定し続ける、

 

を徹底してガンガン実践していった結果、

 

次第に自分の内部に愛の力が戻り、

 

正気が回復してきた。

 

こうして、自分の中の無限に気づいて初めて、

 

他人を否定しなくなり、他人を責めなくなり、

 

他人のことを受け入れられるようになった。

 

このプロセスがあったからこそ、

 

今回の三人の日本人女性とのやり取りの中でも

 

否定しようとしている自分を責めに行くのではなく

 

絶対に否定しない、兄弟を愛として受容する、

 

と決然と選択できたのだと思うのだ。

 

 

だから、僕は力強く決心した。

 

もう、誰をも否定しない、と…。

 

隣りのデスクに座っている同僚を否定しない。

 

パートナーを否定しない。親を否定しない。

 

香港を否定しない。日本を否定しない。

 

お金を否定しない。食べ物を否定しない。

 

起こる事を否定しない。あらゆる人を否定しない

 

そして、何よりもまず、自分を否定しない。

 

どんな事があっても、絶対に絶対に否定しない。

 

なぜなら、

 

父や兄貴は、僕を一度も否定しなかったから…。

 

 

私という感じ

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👆 僕の主治医ケネス・ホー医師と

  風邪、水虫、結膜炎、いんきん、食あたり

  に至るまで、全てホー医師にお任せである

 

 

今日は仕事を早退して、病院へ行ってきた。

 

以前にもこのブログで書いた、

 

皮膚が乾燥して痒くなる症状がまた出てきたので

 

薬をもらおうと、再度ケネス・ホー医師を訪ねた。

 

 

ホー医師の指示通り、

 

あれからナイロン製の下着を身に着けないよう、

 

気を付けてはいたが、腹や内腿が微妙に痒い。

 

炎症もぶつぶつも見られず、ただ痒いだけである。

 

 

 

今回、二種類のステロイドの軟膏を処方された。

 

最初の一週間は強めのステロイドを塗り、

 

二週間からは弱い方のやつに切り替える。

 

改善された時点でステロイドは中止し、

 

あとは普通の軟膏や保湿クリームを使用する。

 

ステロイドには抵抗があって、と僕が告げると、

 

これは非常に軽いもので、副作用は出ないから、

 

私の言う通りにしてください、と言われた。

 

 

ああ、そうだった。

 

信頼できる専門家兄弟に委ねると決めたのなら、

 

後は、それを神(愛)として全面的に受け入れる。

 

 

 

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👆僕は一度も大病をしたことがなく、

 家族や親戚に大病を患った者もいないので

 病気や薬に対する不安感が無いからか

 具合が悪くても、薬さえ飲めばすぐ治る、

 と考ているところがある

 

 

話は変わって、

 

自分の内側へ向かってゆく段階から、

 

内側の無限の存在の中で過ごす段階を経て、

 

今ようやく、自分が〝神の想い〟(愛の感じ)

 

そのものだったと知覚できる場所まで来た。

 

 

常に自分は何かを感じて反応してはいるが、

 

じゃあ、その感じている自分はどこにいるのか、

 

と言われても、探し出すことができない。

 

頭、みぞおち、心臓、細胞、あるいは肉体全体、

 

どこにも、感じる元となる主体がいない。

 

不安を感じて胸がどきどきしたりはするが、

 

それは、感じた結果の肉体的反応であって、

 

胸に自分がいるわけでもなければ、

 

胸が感じているわけでもない。

 

 

そんなとき、

 

自分って〝想い〟なんじゃないか、と思った。

 

ただ、想いだけが湧いている。それだけ。マル。

 

それは他者についても同じで、

 

個としての主体はどこにもなく、

 

ただ、感じているその〝感じ〟だけがあり、

 

強いて言えばそれが自分であり、それしかない。

 

なのに、

 

感じている誰かがいるように思わせられている。

 

 

今の僕で言えば、

 

お腹の皮膚が痒いと思っている誰かはおらず、

 

痒いという〝感じ(想い)〟自体が自分だった…。

 

〝痒い〟が自分だった…。ウ、ウケるっ(笑)

 

 

そして、この想いが、愛の想いで満たされた時、

 

本当は自分が何者であったかを智るのだろう。

 

 

 

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ずっと以前にも、

 

一瞥体験で、このことに気づいた瞬間はあったが

 

当時は、心の理解がまだ追いついていなかった。

 

神の位置から〝想い〟を見れていなかったので

 

一過性の体験で終わってしまっていた。

 

 

全ての自我の想いが、

 

愛の想いに変換されてゆく。

 

 

チルチル満ちる

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👆 今日のお昼のお弁当。本当においしくて、

  毎日気分が上がるひととき

 

 

今日社長に辞意を伝えた。

 

先月、

 

もう一人の日本人(コーヒーカップ事件の同僚)

 

が辞職して日本へ帰国した時は、

 

引継ぎの際に、無責任だ、とか色々言われ、

 

辛い思いをしながら去っていったので、

 

僕も、ある程度の覚悟は決めていたのだ。

 

たとえ何を言われても、

 

神の選択として凛と全て受け入れよう、と…。

 

しかし、社長からは、

 

「星谷さんには、長い間頑張ってもらった。

 

 本当にありがとうね。ご苦労様でした」

 

と、意外にもねぎらいの言葉をかけられた。

 

残っていた年休の40日分も、

 

全て買い上げてもらえることになった。

 

元コンババ部長には、先に伝えていたのだが、

 

「一番頼りにしていたのに…」

 

と、ちょっと落ち込んでいる。

 

 

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アニータが言っていたように、

 

自分の内側をいたわり、愛で満たしていくと、

 

見えている世界に愛が映し出されてくる

 

というのは本当だと、今は自信を持って言える。

 

 

自分の本質が愛であることが解かってくると、

 

無限の全体が自分だったという理解が起こり、

 

現実のスクリーンには、

 

内側の愛(神の感じ/大好きな感じ)を反映した

 

出来事が映し出されてくる。

 

それを見てまた愛を感じていると、

 

愛が循環しはじめ、

 

〝愛である感じ〟が自分そのものであり、

 

全体でもあったことが心底腑に落ちてきて、

 

最後には、個の自分が消える。

 

 

どうやら僕の場合は、罪悪は無い、とやるよりも

 

内側に在る神(愛)を智ることで、

 

世界は無かったことを智ってゆく方が、

 

性に合っているようだ。

 

 

たとえ僕が、日本帰国を選択していたとしても、

 

やはり同じように、

 

神を反映させていたのだろうなと思う。

 

なぜなら、外側で何かを選択する際、

 

何をどう選択するか、という問題よりも、

 

どんな心の状態で選択をしているかが

 

とても重要になってくるからだ。

 

心に愛が満ちた状態での選択は、

 

それがどんな選択であっても、

 

体験される結果もまた愛でしかない。

 

 

とまあ、こんな感じで、

 

退職まではまだ二カ月くらいあるのだが、

 

神の中で起こることに一切抵抗せず、

 

ここに在る今をじっくり味わいながら、

 

神の中で過ごしていこうと思っている。