香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

終わりの五月

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 👆  たまーに、無性に食べたくなる

  SHAKE SHACKのハンバーガー。

 

 

今日は、(元)恐怖の部門長会議であった。

 

そして、この会社での最後の会議出席となった。

 

過去の記事を読み返してみると、部門長会議が

 

ものすごく赦しどころとなっていた時期があった。

 

間違いを指摘されたらどうしよう、とか、

 

社長の質問に答えられなかったらどうしよう、とか

 

みんなの前で恥をかくのが怖い、というように、

 

とにかく順番が回ってくるまではもう心臓バクバク

 

ひとり心の中で大騒ぎしていた。

 

 

でも、大抵の場合は、大した指摘もなく、

 

社長からも、次までに確認しといてね、

 

程度の事しか言われないのだが、

 

それなのにどうして毎月あんなにドキドキする

 

のか、今思えば、自分でもホント不思議だ。

 

 

あの頃は、

 

「ほれほれ、ちゃんとやらな恥かくでえ」という、

 

自我の声に完全に乗っ取られていた気がする。

 

しかし、今この瞬間に在る神に抵抗するのを止め

 

自分を責める声は愛を求める声だったんだ、

 

と気づいて、自分責めを止める決心をした頃から

 

自分の中に本来の神のパワーが戻り始めた。

 

 

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攻撃されたらどうしよう、恥をかいたらどうしよう、

 

という自我の声も、本当は大切にされたいんだ、

 

愛されたいんだという内なる自分の叫びだった。

 

だから先ずは、自分が自分を愛してやろう、

 

自分で自分を大切に扱ってやろう、もう絶対に、

 

自分を痛めつけるような行動や考えはしない、

 

と強く決意して日々の感情に注意を払い続けた。

 

 

怯えている自分や、おどおどしている自分も、

 

責めずに全肯定して受け入れてやる。

 

全てを、愛しているよ、大好きだよ、大丈夫だよ

 

に変換してやる作業を地道にやっていった。

 

それは、聖霊に訊き続ける作業でもあった。

 

 

そうやって、自分の中に強さが戻ってくると、

 

相手にきちんと想いを伝えられるようになった。

 

「止めて下さい」「そんなこと言われたくないです」

 

「はい、確かに私が間違えました、でも、何か?」

 

と凛として今ここに立っていられるようになった。

 

 

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そういうわけで、

 

この強制帰還道場もあと少しで終了だ。

 

今日の部門長会議では、発表のあと、

 

「今回が香港支社の最後の報告となります。

 

長い間助けて頂き本当に有難うございました」

 

と、ZOOMの画面越しにあいさつをした。

 

社長や皆から、お疲れ様でした、ご苦労様でした

 

とねぎらいの言葉をもらった。

 

  

ああ、僕の五月が終わってゆく。

 

 

大家さん優しい!

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昨日は、今借りている事務所の大家さんと飲んだ。

 

というのも、事務所の隣が大家さんの会社で、

 

今回、支社を閉鎖するにあたり、契約のこととか、

 

いろいろ相談するうち、そこの社長と親しくなった。

 

そして、僕の新しい転職先が決まったと告げると、

 

とても喜んでくれ、食事に誘っていただいたのだ。

 

 

僕が酔っぱらってもすぐ帰れるように、と、

 

僕の家のすぐ近くにある沖縄料理店を予約した。

 

泡盛のウコン茶割りで語り合った。

 

この社長さん、福建省出身の56歳、

 

メインでやっているコネクター販売の会社のほか、

 

薬局、しゃぶしゃぶ店、オーストラリアの土地開発

 

など、多種多様な業種に投資を行ない、

 

年収は十数億円、総資産はもう天文学的数字で、

 

それはもう、正真正銘のお金持ちなのであった。

 

そこまでのお金持ちとサシで飲むことなど

 

皆無な僕は、彼の頭の中がどうなっているのか

 

興味津々でいろいろ質問をしまくった。

 

 

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文化大革命が終わった直後の1978年、

 

12歳の彼は、一家揃って香港へ移民してきた。

 

そこから、様々な苦労を経て薬局経営から始まり、

 

少しづつ事業を展開していったのだという。

 

 

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彼のやり方は、投資にせよ、なんにせよ、

 

大株主にはならない、だった。

 

大株主なのは隣りの会社のみで、

 

そのほかは全て、興味を持った商売に投資して、

 

その配当を受け取る、という方式である。

 

もちろん、大失敗した事業も多々あるが、

 

大株主ではないので損失は少ない。

 

 

しかし、僕が興味を持ったのは、

 

そういった成功へのハウツーではなく、

 

彼のお金やビジネスに対する感覚だった。

 

お金は、蛇口をひねれば水が出るのと同じく、

 

入ってきて当たり前、出て行って当たり前、

 

という意識が彼の根底には流れていて、

 

大失敗して無一文になりそうになった時でも、

 

無くなるから使わずにおこうという感覚がない。

 

なので、俺は水をこんなにたくさん持ってるんだ、

 

どうだ、すごいだろう、とはならないのと同様、

 

俺には金があるんだ、お前より偉いとはならない。

 

だから、もう誰にでもごくごく普通に優しい。

 

彼にとってお金があるのは特別なことではなく、

 

威張ることでも、優越感の象徴でもないのだった。

 

 

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彼は、僕が今よりも好条件で転職できたことを

 

何よりも喜んでくれ、心から祝ってくれた。

 

僕が小説を書いていると知ると、

 

出版社が見つからなければ出版社を作ればいい

 

俺が手伝ってやる、とまで言われた。

 

とにかくもう全てが全許容、

 

彼の中に〝否定〟という文字はないのだ。

 

 

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こんなリアル大富豪と、個人的に接することなど

 

滅多にないと踏んだ僕は、自分の〝背後〟から、

 

彼の〝背後〟へ同調しようと努めた。

 

彼の感覚にチューニングすることで、

 

会社で給料を貰わないと豊かになれない、

 

という僕の〝檻〟を取っ払おうと考えたのだ。

 

 

すると、彼の豊かさの象徴はお金だけれど、

 

僕には僕の豊かさがあるのだ、と理解が起こった。

 

会社に勤めていようと、大富豪であろうと、

 

ニートであろうと、普通の家庭の主婦であろうと、

 

その最終着地点は全て、歓びと平安、だ。

 

 

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そして、最後に僕が、

 

「僕が小説を書くのも、あなたが商売をするのも、

 

    こうして一緒に酒を飲んで語り合うのも、結局、

 

    その行きつく先は、歓びや感謝や至福や平安、

 

    神の感じを味わいたいからなんだと思います」

 

と述べると、彼はひどく感銘を受けたようで、

 

そうなんだよ、そうなんだよ、と頷きながら、

 

何度もハグを交わし合ったおっさん二人、

 

なのであった。

 

 

神の先にあるもの

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👆 いつものおしゃれカフェでブランチ

  

 

 

今日は新しい会社の入社前面談の日だった。

 

面談は午後からだったが、一日有給を取った。

 

 

家の前のバス停からバスに乗れば、40分ほどで

 

新しい会社が入るビルの前のバス停に着く。

 

これなら、朝8時に家を出れば十分間に合うし、

 

雨の日でも傘なしで会社までたどり着ける。

 

 

日本人副総経理(定年間近/阪神ファン/喫煙者)と

 

会議室で今後の業務について打ち合わせをした。

 

中国にいる総経理とはZOOMでやり取りをした。

 

二人とも営業出身で、中国語は話せず、

 

財務や総務人事などの管理業務も管轄外らしく

 

非常に期待してますとハッキリ言われた。

 

何をするのかと思って業務内容を訊くと、

 

資金繰り表や人事評価制度(KPI)のかんりなどで、

 

財務や総務管理はかなりゆるゆる、

 

心の中で密かに「ここ、もらった!」と思った。

 

それから、香港人の営業部長さんが入ってきて、

 

僕のノートPCを新たに購入するにあたり、

 

希望するメーカーやスペックを聞かれたので、

 

財務諸表をチェックしなければならないため、

 

なるべく画面の大きなものをと希望を伝えた。

 

 

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面談を終え、香港島へ戻るバスに乗った。

 

そこでずっと背後の無限の全体に入り、

 

ただ存在しているだけの状態で過ごした。

 

そして、神は在る、の中に佇んでいるうち、

 

これまで疑問に思ったこともないような疑問が、

 

ふと湧き起こり、そこから、心がざわめきだした。

 

 

神は在る…神は在る…んっ…?神は在る…??

 

神はどのようにして在るようになったんだろう?

 

神はいつからここに在るのだろう?

 

神が在る以前には、何があったのだろう?

 

そもそも、神はどうやって生まれたのだろう?

 

不可知である神が、永遠にここに在ったとして、

 

それは何ゆえに存在し続けているのか?

 

神がゴールのその先は?またはそれ以前は?

 

 

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本当にうまく説明できないのだが、

 

神が全ての全てであるならば、

 

どのようにしてその全てが始まったのか、

 

不可知のその先にある〝究極〟に思いが及び、

 

愕然とした思いに捉われたのだ。

 

 

これまでは、何の疑問も持たず、ただ、

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還して、終了―っ!

 

みたいに思っていたが、故郷が本当の最終?

 

そもそも、神の国って、なんなの?

 

 

プリンを見て、なんでプリンって言うんだろう、と

 

プ・リ・ン、プ・リ・ン、と呟いているうちに、

 

気が狂いそうになる時の感覚に似ている。

 

 

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究極の不可知の以前にはなにがあったの?

 

答えなんか絶対に出ないのは分かっていながら

 

このことに思いを馳せると、なぜか、

 

ものすごい〝やるせなさ〟が湧き上がってくる。

 

 

えっ?ひょっとして…まだあるの?

 

 

これまでは、

 

ただ漠然と、神が最終と思っていたが

 

神などというものが何ゆえに〝在る〟のか、

 

はっ、とさせられた初夏の香港であった。