香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

頑張れ!エドワード!

 

 

香港支社時代の同僚であったエドワードが、

 

香港を離れ、台湾へ移住したことをインスタで知った。

 

インスタではずっとやり取りをしていたのだが、

 

生まれ育った土地を離れ、新天地で新たな人生を

 

始めるのは容易なことではないだろう。

 

しかし、民主が消えた香港に居続けることはできない、

 

と、台湾で職を探し、移住する決心をしたのだった。

 

 

👆 コロナ前の最後の忘年会(2019年1月撮影)

 

この閉そく感をどう表現したらよいのか分からない。

 

日本の人にはたぶん理解できないと思う。

 

仕事もあり、モノもあり、日常生活はいつも通りで、

 

買いたいものは買えるし、外国にも自由に行ける。

 

しかし、この何とも言いようのない息苦しさ、

 

微妙に空気読んでる感、上目遣いな感じ、

 

判りやすく言えば、岸田総理が、

 

明日から私の悪口を言ったら逮捕します、と言っても、

 

誰も何も言わない、でも、内心モヤモヤ、みたいな…。

 

 

今回のエドワードの行動を目の当たりにすると、

 

僕も早く台湾で暮らしたい、と、とてもワクワクする。

 

台湾には、55歳以上の日本人に発給される

 

〝シルバービザ〟(じじばばビザ👈きいぃーっ!)

 

という移民用ビザがあり、これを利用しよう(くうーっ!)

 

エドワード、来年は台北で夜通し飲み明かそうぜ!

 

 

👇 懐かしいエドワードとのあれこれ

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

というわけで、

 

引っ越し先の部屋の引き渡しがとうとう明日となった。

 

引っ越し後は、徹底して内側へ集中して過ごすつもり。

 

小説創作、ジム、台湾語、日本語教師のクラスは、

 

まだお金は払っていないが、多分やると思う。

 

友人から、決まった日に通う場所があったほうが、

 

精神衛生上絶対にいい、とアドバイスされたのだ。

 

 

とまあ、そんなこんなで、引っ越し頑張る!

 

お金に関するあれこれ

 

 

大阪市内への引っ越しが1週間後に迫る中、

 

調理器具や、食器や、寝具類などを見て回っている。

 

見ているうち「引っ越しを機に生活も一新するのだあ」

 

とばかりに、洋服や帽子や靴なんかも買っちゃおー、

 

みたいになってきて、ハッと我に返るボクである。

 

 

今回の部屋は、家具と家電が揃っているので、

 

本当に私物を持ち込むだけで生活ができてしまう。

 

それに、なるべくモノを増やしたくないので、

 

夏物の衣服や、今使わないモノは実家に置いてゆき、

 

逆に、トイレットペーパーやティッシュや洗剤やタオル

 

なんかは、実家からペチッてゆく作戦だ。(👈セコッ!)

 

それでも、引っ越しのためにお金は使ってゆくわけで、

 

ただ、漫然とお金を払うのもどうだかなあ、と思い、

 

今回、あることを実行してみることにした。

 

 



 

僕はこれまで、あまり気にせずお金を使ってきた。

 

バブル気質が抜けきらないのだ。

 

しかし、僕はいまセミリタイア中なので、

 

十分な蓄えはあるものの、当然お金を使えば減る。

 

この時、今後自分はどのようにお金を使うべきか、

 

初めてお金について真面目に考えてみたのだ。

 

そして、素粒子的な観点から見れば、

 

お金は使っても、減ってはいないことに気づいた。

 

3千円でモノを買えば、3千円がなくなったのではなく、

 

この3千円の素粒子が、もやもやもやと形を変え、

 

同等の価値ある〝モノ〟に変わっただけだ。

 

エネルギー的にはプラマイゼロであり、

 

そのモノ(またはサービス)に喜びを感じられれば、

 

それが、付加された価値の素粒子エネルギーとなり、

 

そのエネルギーが次への呼び水となる。

 

 

なんとも引き寄せチックな話だが、これは正しいと思う。

 

赦しだ、悟りだ、世界は幻想だ、と言ったって、

 

実際、毎日財布からお金を出して使っているのだから、

 

どうせなら〝いい気分でお金を使う〟べきだ。

 

 

 

 

僕の場合、どうするかというと、お金を支払う時、

 

お金と、得られたもの(商品やサービス)が、

 

同じものだと認識してから支払う。

 

払うより、得ることの方にフォーカスをするのだ。

 

コーヒー一杯に300円払うのなら、

 

300円を払ってコーヒーを得た、ではなく、

 

300円がコーヒーに変化した、と知覚する。

 

こうやって、

 

コーヒーに変化した300円を、悦んで味わう。

 

ありがとうと言いながら愛を以ってお金を払い、

 

ありがとうと慈しみながら変化したモノを味わう。

 

これをレジで支払いをする度に繰り返す。

 

よくは知らないが、多分、引き寄せの法則とかでも、

 

こんなことをやるんじゃないかなあ?

 

ただし、お金が入ってくるためにやるのではなく、

 

純粋に、ただ気分よくお金を使うためにやる。

 

特に僕は、

 

バブル感覚で無意識にお金を使ってしまうので、

 

一回立ち止まって、自分は何を買おうとしているのか、

 

を認識することは、とても大切なプロセスなのだ。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

モノを買ったり、サービスを提供してもらう行為が、

 

エネルギーのやり取りとして認識されくると、

 

金額と得るモノのエネルギーが同等となるよう

 

中身をちゃんと吟味して買い物をするようになった。

 

安いから買う、なんとなく買う、というのではなく、

 

熱量(大好きの度合い)を重視するようになったのだ。

 

 

というわけで、お金についてのあれこれを書いたが、

 

この記録も、10年後読み返した時にどう感じるのか、

 

楽しみだ。

 

 

すったもんだでいいのだ!

👆 日本の空って、きれいだなあ

 

 

 

「聖霊、この有ると思っている罪悪感を訂正して下さい」

 

「聖霊、私には何もわかりません。だから助けて下さい」

 

「聖霊、ここへ来てわたしを導いてください」

 

このブログを始めた頃の赦しはこんな感じで、

 

めちゃくちゃ兄貴に〝指示〟しまくっていた。

 

師事ではない。(笑)(爆)

 

しかし、いまはもう、

 

背後へ開き、思いを捧げ、神の愛を受け入れる、

 

ただこれだけになっている。

 

解釈無しで、直に、兄貴へ捧げ続けている。

 

出てきたものをいじらず、ただそのまま、

 

距離ゼロで、開きっぱなしの、渡しっぱなしである。

 

 

しかし、他の奇跡講座の教師にせよ、

 

スピのマスターにせよ、非二元のスピーカーにせよ、

 

全て理解した後の究極の部分だけを口にし、

 

そこへ至った〝すったもんだ〟を語りたがらない。

 

「あるきつい現実が起こってね、そこからなんちゃら」

 

と、ぼやかしながら上手く真理に繋げる。(プロ!)

 

または、過去のことを忘れてしまっていたりする。

 

僕もそうだ。(って、僕はマスターでも何でもないが)

 

日常の些細な出来事や心の動きを、

 

写真付きで、リアルに綴ったこのブログがなければ、

 

二度と思い出されることもなく、

 

あったことさえも忘れ去られていただろう。

 

 

9年間の、過去の記事を読み返して思うのは、

 

その時代時代ですったもんだしながらも(今もそうだが)

 

それで完璧に赦され、導かれていたという事実である。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

なのでもし、自分は、言われた通りにできていない、

 

まだこんなレベルにいる、またしくってしまった、

 

と思ったとしても全然オーケーだ。

 

住んでるところも、家庭環境も、性格も違うのだから、

 

ひとそれぞれ、

 

目醒めるプロセスが違っていて当然なのだ。

 

 

今この瞬間の自分を肯定していること、

 

それが、実相を、兄貴を、神を肯定していることとなる。