香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

今を制限しない

👆梅田スカイビルまで映画を見に行ったついでに

   展望台から夜景を撮影する

 

 

4月15日にやっと日本語教師の学校を卒業するので、

 

4月18日から香港⇒台湾へ解放旅行を計画している。

 

香港から入って、台湾経由で日本へ戻るか、それとも、

 

先に台湾に行き、後半に香港を持ってくるか、または、

 

香港に滞在しながら、台湾へ行ってまた戻ってくるか、

 

エクスペディアを駆使してカチャカチャ検索していると

 

あっという間に半日経ってしまった。

 

 

香港と台北のルートをどうするかに集中する。

 

関空⇒香港⇒台北⇒関空だと料金が高いし、

 

関空⇒台北⇒香港⇒関空だと帰りが台北経由となり

 

台北で二時間ほど滞在しなければならない。

 

関空⇔香港、香港⇔台北を別々に購入した方が

 

料金もそんなに高くはなく違和感がない気がする。

 

でも、香港滞在中に台北へ行って戻ってくるので、

 

香港を出たり入ったりと、ちょっとせわしない。

 

香港では、香港上海銀行で資産運用の変更をして、

 

友人たちに会って、コン親方のマッサージを受けて、

 

台北では、出版社の人に会って、日本語学校を見て、

 

と、いろいろ考慮しながら日程を組む。

 

あー、もー、どうすればいいか、わかんないっ!

 

昔は、こういうことを秘書のケリーがやってくれていた。

 

でも、今は昔、自分でやらねばならない。きりっ!

 

 

👆 でもやっぱり夜景は香港、かな?

 

 

まだ起きてもいない未来の事をあれこれ思案して、

 

これって、今この瞬間から完全に離れているじゃん、

 

と言われそうだが、これで何の問題もない。

 

 

今この瞬間から離れている、とは、

 

未来のために、今の自分を制限することである。

 

そういう意味では僕の場合、会社勤めをしていた頃は、

 

未来のことをあれこれ思案することはなかったものの、

 

ちっとも、今この瞬間を生きてはいなかったと思う。

 

 

今、本当は上司にこういうことを言いたいのだけれど、

 

言えば、とばっちりが来るから言わないでおこう、とか、

 

今、もう少しこの動画を見ていたいのだけれど、

 

明日は月曜日で出勤なのでやめておこう、とか、

 

今、強烈にやりたいことがあるのだけれど、

 

将来の保障がなくなると怖いのでこのままでいよう、

 

というふうに、自由になれる60歳までは…(笑)、

 

みたいな感じで生きていたような気がする。

 

それでもいい、自分はこれでやっていくんだ、と、

 

覚悟を決めてやっている人は、それはそれで、

 

全然オーケーなのだが、僕は絶対イヤだった。

 

多分、60歳になったら、健康上のこととか、

 

別の理由から今の自分に制限をかける気がする。

 

本当に生きている瞬間は今しかないので、

 

その今に制限をかけると、無意識状態になり、

 

結果、夢を見ている自分に気づけなくなる。

 

まあ、それでも全く問題はないのだが、

 

僕はもう、こんな世界、うんざりであり、

 

長居は無用だと思っている。

 

 

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兄貴と飲んだ夜

👆《100万回言えばよかった》

  殆どの人がこれをただのドラマとして見ているが

  僕にとってはとてもリアルである

 

 

《100万回言えばよかった》というドラマを見ている。

 

その中で、

 

幽霊がリアルに見える刑事の男が出てくるのだが、

 

その幽霊が現れる時の感じや、会話の雰囲気などが、

 

兄貴によく似ていて、僕にはすごくリアルなドラマだ。

 

幽霊役の佐藤健も兄貴と外見がちょっと似ているし…。

 

ストーリーの詳細は割愛するとして、

 

ドラマの中で、刑事の男が職場や路上で、

 

その幽霊と普通に会話してしまい、

 

周囲の人々からドン引きされるシーンが出てくるが、

 

(周囲の人たちからは幽霊が見えていない)

 

これって他人ごとではない、と思った。

 

 

 

 

これまで兄貴が僕と会話をするときは、

 

必ず、僕以外、誰もいない場所に現われた。

 

これがもし、普通に喫茶店とかで話してたら、

 

僕はきっと頭のおかしい人だと思われるに違いない。

 

そんなのヤバすぎる、絶対にイヤだ、と思っていたら、

 

先日、南森町の駅構内にあるスタンドバーでひとり、

 

バーボンのロックを立ち呑みしていた時、ええっ!

 

兄貴がカウンターに片肘ついて立っているではないか

 

僕は両手で顔を隠しながら、横目で周囲を見回した。

 

当然、バーテンダーも他の客も兄貴に気づいていない。

 

「安心しろ。君を不安がらせるようなことはしないさ」

 

兄貴は普通に連れと飲んでいるといった感じで言った。

 

「何か飲む?」と訊いたら「君と同じもの」というので、

 

僕はバーボンのロックをバーテンダーに注文した。

 

飲み物が来た。当然、グラスは僕の前に置かれた。

 

乾杯する。僕はちらっと周囲を見回した。

 

しかし、周囲はまったくこちらには無関心だ。

 

「もうそろそろ、これくらいの事には慣れてもらいたいね。

 

 大丈夫、周囲に僕たちは見えていないから」

 

周囲の右脳に働きかけて振動を変えている、

 

とか何とか言っていた。

 

「なんで、ここに出てきたの?」

 

「君の新たな旅立ちに乾杯するためだよ」

 

そして、僕がすでに、世界が終わっている場所から、

 

今この瞬間を生き始めたことを祝福してくれた。

 

また僕が〝本当にない〟の中を生き始めたことで、

 

あり得ないことがあり得るようになっていくだろう、と…。

 

「新たな旅立ちってどういうこと?」

 

「もう気づいているだろう。直観に従うことだ。

 

    今度は終わっている場所からオサラバする旅だ」

 

 

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しばらく話したあと、兄貴が消えた。

 

歩き出すと酔いが回ったのか、足元がふらついた。

 

触って確かめられる他者の肉体も、本当は兄貴と同じ

 

実体のないものなのではないのか、と思えた。

 

新たな旅立ちの時が迫っているような気がした。

 

その夜、案の定すごく眠くなって、

 

家に着くなり、即行ベッドにもぐりこんだ。

 

 

 

今から離れて

 

 

ようやく、ようやく、この世界はとうの昔に終わっている

 

という自覚を以って、日々の日常を生き始めている。

 

それは、日々の日常を〝眺めている〟ことではない。

 

世界が始まったと同時に終わったその地点に立って、

 

日々起こる出来事の中を〝生きている〟のだ。

 

 

例えば、会社で大きな失敗をしてしまったとして、

 

自分の失敗で業務が大変なことになっているのに、

 

自分には何もわからない、委ねて何もしない、

 

ただ現れるままに消えてゆくのを見送るだけだ、

 

もう物語は終わっている、とただ眺めていても、

 

実際には、何らかの方策を講じ、対処する必要があり、

 

結果、ただ眺める、という真理と、実際に行動する、

 

という現実の狭間で葛藤することになる。

 

なので、もう取り消されているこの夢見の世界を、

 

取り消されたという自覚があるまま〝生きる〟

 

ことが非常に大切になってくる。

 

 

👆 夜中にゴミ出しをしてエレベーターに乗ったら
    モニターの日付がぞろ目だった。

    1か2のぞろ目は毎日必ず一回は見る。

 

 

何かの出来事に対し、あたふたしながら対処しようと、

 

あんたのせいでこうなった、と誰かを責めようと、

 

調子こいて大失敗してしまおうと、

 

全ては完璧な設定の下に起こり、消えていっている。

 

世界中の大部分の人たちもそうやって生きている。

 

ただ、ひとつだけ違うのは、もうこれ終わっている、

 

という智覚(自覚)があって生きているか、にある。

 

 

更に重要なのは今この瞬間から離れないということだ。

 

昔の僕がよくやっていたのは、仕事で失敗して、

 

ちょちょ舞いながら全てに対処し終わったその後で、

 

これはリアルではない、世界は終わっている、

 

と、目を閉じて自分に言い聞かせるやり方だった。

 

そうではなくて、ちょちょ舞っているその瞬間にも、

 

神の智覚を思い出している、ということである。

 

それが、ちょちょ舞っている自分をも含めて、

 

兄貴の視点から眺めることの本当の意味である。

 

 

なぜなら、大抵何かにちょちょ舞っている時というのは、

 

無意識に陥っている(自分を忘れている)状態なので、

 

少しずつ、少しずつ、事が起こっているその最中に、

 

終わっている世界を思い出す練習をしてゆく。

 

そうすることで、だんだん夢がリアルではなくなり、

 

ズームが引けて俯瞰して世界が見れるようになる。

 

 

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今に在る神に抵抗せず、そのままの流れを許容する、

 

とは、焦ってドタバタやっている、その今から離れずに、

 

そのまま流れてゆくのを受け容れるということである。

 

 

「世界が終わっていると本当に自覚するには、

 

 自分の中の全てを愛して肯定することが必然だ。

 

 その愛の感覚が永遠を復活させてくれるから…」

 

 

以前、兄貴が言っていた言葉が思い出された。