香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ミルフィーユの崩壊

 

夢の世界で起こったと思える全てのことを、

 

徹底的に神に返し尽くしていると、

 

あらゆる葛藤、動揺、恐怖、怒り、悲しみ、不安、が、

 

神から離れた、と勘違いした結果だった、または、

 

父から罰を受ける、と思い込んだゆえの夢だった、

 

ということが、完全に真実として受け入れられてくる。

 

それはもう、

 

理解するのでもなければ、言い聞かせるのでもない。

 

神があたりまえ、みたいな感じになる。

 

なんていうか、自我に憑依されいる時間より、

 

神を思い出している時間の方が勝ってくるのだ。

 

 

去年の夏、本当に苦しくて、ベッドの上へ大の字になり、

 

「どんなことでも赦しますから、全部よこしてください」

 

と兄貴に大声で叫んだ瞬間から、何かが変わった。

 

どんな些細な赦しでも、必ず神まで戻り、

 

そこで、どんな勘違いが起こったのかを確認してから、

 

ウツボカズラで〝無条件に〟兄貴へ大放出しまくった。

 

絶対に神まで戻る、と決意して赦していると、

 

全てが神そのもの~、愛そのもの~、というような、

 

〝そのもの教〟におちいることもなければ、

 

そのままで神に愛されているから大丈夫、

 

というような非二元的なすり替えもできなくなる。

 

あらゆる現実的な問題からくる罪悪感に対して、

 

たったひとつの勘違いの場所にだけ焦点を合わせ、

 

そこへ、何度も何度も何度も何度も戻り、

 

何から何まで、神にお返しするスタンスで、赦した。

 

もちろん、そうした赦しは今も続いているのだが、

 

ここへきて、ひとつの段階を脱した、というか、

 

現実を完全に問題視しなくなった、というか、

 

どんな問題が起こって〝きいぃーっ!〟となっても、

 

それを真(ま)に受けなくなっている。

 

むしろ、チャンス、とさえ思ってしまう。

 

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僕たちは、自分が絶対に見たくない過去の感情には、

 

ミルフィーユのような壁を何層も作り、

 

封印してしまう。

 

封印された感情は、自分の中には無いものとなり、

 

表面的には穏やかな毎日を送れていたりする。

 

自分の中に、

 

憎悪や恐怖の感情があるという実感がないので、

 

心に持っている罪悪感に気づけないのだ。

 

僕も神の愛を感じて〝ひゅんひゅん〟していた頃は、

 

もとから罪悪なんてなかったんだあ~、神しかなかった、

 

と悟った気になっていた。

 

しかし、もういやだ、もううんざりだ、と、

 

僕が隠蔽しているものを真正面から見る、と決め、

 

赦し始めた瞬間から、ミルフィーユが崩壊を起こした。

 

 

赦すことで自分の中の何かが変わる、のではなく、

 

何も変えなくてよかったことが明らかになった。

 

本当の意味で、

 

何があっても大丈夫な自分になっている。

 

 

ゴミが泣いてた

 

 

あらゆる物に対する〝ありがとう!〟が止まらない。

 

もう、トイレの蓋にまで「ありがとう」と言う始末である。

 

こうして、

 

物たちが自分と同じものとして認識されてくると、

 

逆に、丁寧に扱われていない物たちを目にすると、

 

まるで、神がぞんざいに扱われているようで、

 

いたたまれなくなってくる。

 

例えば、アパートの一階にゴミ収集場があるのだが、

 

そこは、毎回住人が鍵で扉を開け、

 

ゴミを捨てたら扉を閉めて施錠する決まりになっている。

 

しかし、中には、いちいち鍵で扉を開けるのが面倒で、

 

扉の前にゴミの袋をポン、と置いてゆく輩もいる。

 

以前なら、そんなことなど気にも留めずに、

 

自分のごみを捨てたらそそくさと立ち去っていたが、

 

自分に見えている世界が自分、みたいになってからは、

 

ゴミ捨て場の前にあるゴミ袋を放っておけなくなり、

 

自分のごみを捨てるついでに、扉の前のゴミ袋も、

 

収集場のカゴに放り込んで行くようになった。

 

というのも、ゴミを捨てに来た他の住人たちや、

 

ごみ収集に来たスタッフの人が、

 

これら、外に放り出されているゴミを目にした時、

 

きっと心の中で〝イラッ〟とするはずだ。

 

しかし、そうなってるのはゴミのせいじゃないし、

 

憎まれるいわれなどない、と感じてしまうのだ。

 

なんか、ロジックがヘンだが、まあそんな感じ。

 

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なんていうか、自分の視界にあるものはみんな、

 

自分の心の中にある神の投影、みたいな感覚である。

 

もちろん、

 

強迫観念のようにこれをやっているわけではく、

 

時間がない時や、面倒なときはそのまま放っていく。

 

ただ、そういうことに気がつく、ということは、

 

ちゃんと今この瞬間にいる証なんだと捉えている。

 

過去や未来のことを考えているときは、

 

目の前にあるもの(神)には気がつかないだろうから。

 

やればできる

👆見た目は悪いが、中身で勝負…

 

料理なんて、ほとんどしたことがない僕が、

 

友人から炊飯器を譲ってもらったのを機に、

 

いろいろ作るようになっている。

 

作る、といっても、野菜や肉を買ってきて、

 

ナンチャラの素、みたいなやつで味をつける、

 

といった程度のものだが、ちゃんと鍋やフライパンで

 

煮たり、炒めたりはするので、一応は料理である。

 

(トーストだってフライパンで焼いているんだ!)

 

 

で、奇跡パパのポトフの写真が美味そうだったので、

 

これならできるかも、と俺も挑戦してみることにした。

 

スーパーで材料を買い、コンソメもバジルも買い、

 

いちばん簡単そうなショート動画を見ながら作った。

 

うううっ、ニンジンの皮、剥いてなかった、

 

キャベツ買うの忘れた、コンソメ3個も入れちゃった、

 

煮過ぎてジャガイモ溶けちゃった(笑)などなど、

 

切って、入れて、煮るだけなのに、もう大騒ぎ…。

 

しかし、普通に美味しかったので、まあよしとする。

 

👆もうすぐ〝素敵な〟器に料理を盛る予定!

 

それにしても、台所って、やることだらけなんだね。

 

ちょっと卵を炒めただけで、あちこち油が飛ぶし、

 

いろんな食材のカスやクズやヘタが、え、何で?

 

というようなところに、へばりついていたりする。

 

切ったり、剥いたり、入れたり、洗ったり、拭いたり、

 

もう、チマチマチマチマした作業が延々続く。

 

こんなの一日三食やってたら生活破綻だよう。

 

まあ、俺は単に要領が悪いだけなのかもしれないが、

 

家庭を持つお母さんはこれを、旦那や子供のために、

 

毎日毎日、何十年とやり続けているんだね。

 

家族への愛情がないと、到底できることではない。

 

主婦ってすげーな、と今気づきました。(おせーよ!)

 

来世は絶対、外で働かなくて済む専業主婦がいい、

 

と、兄貴にお願いしていた自分が恥ずかしい…。

 

(旦那は盆暮れだけに帰ってくるマグロを捕る人か、

 

 中東に派遣されている自衛隊員で、住まいは、

 

 病院と銀行とスーパー完備の、駅直結のタワマン)

 

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とまあ、来世のことはともかく、

 

簡単なものでも、自分で調理して食べていると、

 

食べ物を慈しむ思い、みたいなものが生まれてくる。

 

たとえスーパーの惣菜であっても、

 

これは誰かが作ってくれたものなんだ、

 

ということが意識されてくる。

 

あ、それと、台所に立っている時って、

 

自動的に今この瞬間にいる気がする。

 

電子レンジしながら、鍋の火加減をみつつ、

 

まな板で何か切ったり、食器を出したりする。

 

他のことを考えている暇がない。

 

というわけで、

 

次回は回鍋肉(ホイ・コー・ロウ)に挑戦予定…。

 

(ナンチャラの素、なんかは使わないぜ…)