香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夢の消滅



フィギュアスケート男子シングル、本当にすごかった。

「ユズ〜ッ!」と、女子でなくても、

思わず叫んでしまいそうになるではないか。

それにもまして、

ネイサン・チェン選手のフリーもすさまじかった。

ソチ五輪の真央ちゃんみたいで、涙が出ちゃった。

もう、さすが五輪。どの選手も全力で演技していた。

あれだけのパフォーマンスをするために、

一体どれだけの努力を重ねてきたのだろう。


だが、ここで水を差すようだが、そうやって、

テレビの前で〝感動の今〟を過ごす一方で、

「これも消えてゆく姿であり、

 隠蔽された罪悪感の投影なんだ。」

と、ある種の感慨を覚えたのも事実である。

羽生選手の金だって1年もすれば過去のものになるし

彼が今後も勝ち続けるなんてあり得ない。

欠乏感は必ず彼に追いついてゆくはずだし、

その欠乏感を努力だけで埋められるとも思えない。

誤解を恐れずに言うならば、

努力の結晶である金メダルは、

皆に感動を与えはするけれど、

そこに真の価値はなく、故に本物でもなく、

夢の中の巧妙なトリックにすぎない。


自分の心の中で開催されているオリンピックを、

兄貴と共に観てゆく。

すると、

絶対に正しいとされる〝感動〟という力動さえも、

分離と二元性の象徴だということが見えてくる。

だからと言って、それらを排除する必要なんてない。

それは僕らがすることではない。

自分はただ、認識し、明け渡すだけだ。

そのうえで、普通に五輪を楽しみ、感動に涙する。

仕事をする、スマホを見る、お酒を飲む、映画を観る、

何かにイラッとする、誰かと話をする、誰かを愛する、

過去を思い出す、先を急ぐ、ワクワクに動く…、など、

肉体として、やったり、考えたりする行為の全てが、

心の中の深い深い部分に抱いている〝父への愛〟を

思い出さないための隠ぺい工作だったことを知り、

驚愕している今日この頃である。


自分の心の中へと深く入ってゆき、

本当は、どんなに自分が神に恋焦がれているか、

どんなに父のことが好きでたまらないか、を認識して、

父に対する愛の塊にアクセスしようとすると、途端に、

その経路を遮断しようと、エゴが全力で襲ってくる。


例えば、

友人が放った一言から、妄想劇場が始まったり、

明日、銀行へ行ってお金を下ろさねば、

と、突然思い出して、財布を確認したり、

古い歌謡曲のフレーズがリピートされ続けたり、

果ては、背中が痒くてたまらなくなったり、と、

まるで妨害電波のように、エゴの雑音が立ち上がり、

愛がたゆたう深い部分へ到達するのを阻む。


それでも、ずっと、赦しを実践してきているからか、

近頃では、聖霊兄貴を選ぶ、という意志の方が、

エゴの雑念を上回りはじめ、

周囲で起こった事に反応していたり、

仕事でいろいろ施策を練っていたり、

おいしいものを食べたり、談笑したりしている時でも、

これは父への愛の想念を隠ぺいするためのものだと

自然に捉らえることができるようになった。

もちろん、隠蔽を認識できたら、あとは、

美味いものは美味い、感動は感動、でいい。


だが、僕の場合、愛の想いを通して世界を見た結果、

幻想世界が愛に満ちた世界に変わるのではなく、

心の中の神への愛の部分にアクセスした結果、

幻想世界が消滅してゆく、という感じがある。


なんでだろう…?