2020-06-10 超絶ストーカー 香港 昨夜は、外で夕飯を食べて帰宅すると、 もう眠くて眠くて、そのまま爆睡してしまった。 若い頃は、眠ったらもったいないと思っていたが、 いまは、本当に、寝るは極楽金要らず、である。 特に、眠りに落ちる瞬間の、自分が無くなる感覚は エクスタシーそのもので、本当に気持ちがいい。 というわけで、 今日もまた、来期の予算策定に大忙しだった。 もう一人の日本人とエドワードは香港の経費だが、 僕は本社の管理本部付きなので、 僕にかかる経費は別途抽出し、 本社の予算に計上せねばならない。 以前の僕だったら、ただテンパりながら、 あたふたと仕事をこなしてゆくだけだったのだが、 最近では、その時その時に感じる〝想い〟を、 ちゃんと認識しながら仕事ができるようになった。 あれ、なんで合計が合わないんだろう、とか、 この費用は予算に計上したほうがいいのかどうか、 といった思いが出て来た時に感じる、 軽い緊張感や恐怖などを、その都度、その都度、 きちんと認識しながら作業を進めてゆくのだ。 別の言い方をすると、 いま、この瞬間にいて、無意識ではない状態、 いま、自分がどう感じているかを知っている状態、 もう一人の自分が観察者として観ている状態、 といった感じか…。 やがて、その〝感じ〟が自分そのものとなり、 また、今、この瞬間に在る神から見ると、 その感じは、神の感じだった、と認識されてくる。 僕たちは、何かを見たり、聞いたりした瞬間、 本当は神を観たり、聞いたりしているのに、 あ、いけないいけない、と、一瞬のうちに、 神を、スマホや椅子にすり替えてしまっている、 と、前回の記事で書いたが、ある意味、 感じ方の面でも、これと全く同じことをしている。 blog.hoshitani-shusaku.com blog.hoshitani-shusaku.com 本当は、何を感じていても、 それは神からの〝超絶ラブコール〟なのに、 僕たちは、そのあまりの愛の深さに、 ストーカーにも似た恐ろしさを感じてしまい、 即行、その愛を、恐怖や不安感にすり替え、 ああ、よかった、これでストーカーを撃退できた、 と、安心している。 そうした、すり替えを、今日一日、 予算策定という夢の現実の中で見ていった。 正直、ちょっと疲れた。 また、今日も爆睡である。