香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

両手で神を知る

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〝自分の両手を向かい合わせにしたときに、

 

 両の手は背後の腕を通してつながっている〟

 

 

という読者の方から寄せられたコメントが、

 

いま、すごく僕の心に響いている。

 

凄いことに気づかれたのだなあ、と思い、

 

大きな衝撃を覚えたのだ。

 

 

詳しいやり取りは、ローラの記事のコメント欄を

 

ご覧いただくとして、読者の方が言われる通り、

 

左手が自分で、右手が他者だとすると、

 

両手を合わせれば、私とあなたは、

 

背後の胸(みぞおち)で繋がっている。

 

これはまた、左手と右手である自己と他者が、

 

みぞおちの部分(ハート/無限の全体)で、

 

ひとつになっている、とも言え、

 

右手(相手)と左手(わたし)は、

 

このみぞおちを中心に別方向へと広がっている。

 

 

みぞおちの少し奥の部分はまた、

 

神の愛を身体的に感じられる場所でもある。

 

例えば、合掌をすると心が落ち着いたり、

 

愛する人と抱き合った時、みぞおちの辺りが、

 

歓びでキュンキュンしたりするのは、

 

両手やみぞおちを重ね合わせることで、

 

別方向へ広がっていた意識が、

 

この一つの場所(本当の自分がいる場所)へと、

 

戻ってくる感覚を体感しているからだと言える。

 

だから、合掌をして何かを祈ったり、

 

ハグをし合ったり、握手を交わす行為には、

 

なにか、大きな意味があるように思う。

 

 

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また、左手と右手を合わせた時にできる隙間が、

 

自己と他者が向かい合っている空間、つまり、

 

この現実世界を表している。

 

普段僕たちは、

 

こんなこと言われた、あんなことやられた、と、

 

手と手で押しくらまんじゅうをしているのだが、

 

本当は中心のみぞおちで感じている。

 

それぞれが、それぞれの感情を持っているように

 

思っているが、一つの場所で同時に感じている。

 

 

なので、ひとつで感じていることを理解して、

 

抵抗をやめ、其々が自分の腕側(背後/自分側)

 

へと意識を向かわせることで、手と手が離れ、

 

最後は、手も腕も、みぞおちへと還る。

 

そこで真の私は、真の他者と出会い、

 

ずっと父が待つ故郷にいたことを知るのだ。

 

 

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とまあ、こんな感じで、僕のファンタジーは、

 

どこまでも飛躍してやまないのだが、

 

両手で意識の流れをを説明できそうな気がする。

 

左手を自己、右手を他者と見立てて合掌し、

 

みぞおちのハート(神の位置)から、

 

両手のせめぎ合い(自他のせめぎ合い)を

 

見つめたりするワークとかやったら、

 

案外面白いかも…。(笑)

 

 

ふうさん、

 

両手で神を知るワークショップ、お願いします!