僕達は
本来コップではないものをコップだと主張し続けている。
コップではないものを見て、これはコップだ、
コップなんだあー、と必死のパッチで叫び続けることで、
コップという認識を成立させている。
これを意識と素粒子の角度から見ると、
これはコップだ、というフォトンを飛ばし続けることで、
素粒子がガガガッと動き出し、ぎゅっと結合して、
コップとなって存在を維持している。
僕達はこうやって、あらゆる世界を、自分さえもを、
この絶え間ない思い込み(主張)によって創っている。
抵抗を止めることによって、この主張を取り下げる。
しかし、こう書くとまた、抵抗を止めて取り下げるんだ、
これはコップではないんだあ、実相だったんだあー、
と、別の主張をしてしまいがちだが、そうではなく、
ただ、だらーん、ぼけーっ、と虚空を見つめながら、
放心状態で捧げていればいいだけである。
何もせず、ぼんやり呆けたようにじっとしていると、
素粒子が波に戻り、本来の姿が露わになる。
するとやがて、別の何かが立ち上がってくる。
しかし、この、ぼけーっ、だらーっ、がなかなかできない。
天気の良い三連休に、放心状態ででれーんとしていろ
と言われても難しいのではないだろうか。
ここ行って、あそこ行って、誰々に会って、何をして、と
一瞬たりとも、動的、心的、な活動を止めようとしない。
そこで僕は、今年の二月の春節の休暇の期間、
えいやーっ、と、本当にそのだらーっ、を実践してみた。
その実践記は当時の記事を読んでいただくとして、
結果、本当の意味での解放が起こった。
本当は、こんなに集中してやる必要などなく、
リラックスした〝感じ〟で日常を過ごすだけである。
仕事中にそんなことできるのか、と言われたりするが
最初だけ集中力が要るけれど、慣れれば案外できる。