香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

だらーん、ぼけーっ、べろーん

 

 

 

僕達は

 

本来コップではないものをコップだと主張し続けている。

 

コップではないものを見て、これはコップだ、

 

コップなんだあー、と必死のパッチで叫び続けることで、

 

コップという認識を成立させている。

 

これを意識と素粒子の角度から見ると、

 

これはコップだ、というフォトンを飛ばし続けることで、

 

素粒子がガガガッと動き出し、ぎゅっと結合して、

 

コップとなって存在を維持している。

 

僕達はこうやって、あらゆる世界を、自分さえもを、

 

この絶え間ない思い込み(主張)によって創っている。

 

 

抵抗を止めることによって、この主張を取り下げる。

 

しかし、こう書くとまた、抵抗を止めて取り下げるんだ、

 

これはコップではないんだあ、実相だったんだあー、

 

と、別の主張をしてしまいがちだが、そうではなく、

 

ただ、だらーん、ぼけーっ、と虚空を見つめながら、

 

放心状態で捧げていればいいだけである。

 

何もせず、ぼんやり呆けたようにじっとしていると、

 

素粒子が波に戻り、本来の姿が露わになる。

 

するとやがて、別の何かが立ち上がってくる。

 

 

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しかし、この、ぼけーっ、だらーっ、がなかなかできない。

 

天気の良い三連休に、放心状態ででれーんとしていろ

 

と言われても難しいのではないだろうか。

 

ここ行って、あそこ行って、誰々に会って、何をして、と

 

一瞬たりとも、動的、心的、な活動を止めようとしない。

 

 

そこで僕は、今年の二月の春節の休暇の期間、

 

えいやーっ、と、本当にそのだらーっ、を実践してみた。

 

その実践記は当時の記事を読んでいただくとして、

 

結果、本当の意味での解放が起こった。

 

 

本当は、こんなに集中してやる必要などなく、

 

リラックスした〝感じ〟で日常を過ごすだけである。

 

仕事中にそんなことできるのか、と言われたりするが

 

最初だけ集中力が要るけれど、慣れれば案外できる。