このブログで、大好きが爆発している、とか、
プチトマトを見て号泣してしまった、とか、
訳の分からないことを書きまくっているボクであるが、
それはどういうことなのか、といろいろ考えてみた。
例えば、
田中さんは、パスタが大好きだが、ラーメンは嫌いで、
佐藤さんは、ラーメンが大好物だが、パスタは大嫌い。
それでも、田中さんがパスタを食べた時に感じる、
「うわ、おいしいぃーっ!」という感じと、
佐藤さんがラーメンを食べた時に感じる、
「ああ、幸せぇーっ!」と感じる〝歓び〟の感覚は、
共通して同じものだと思うのだ。(多分…)
また、田中さんは山田さんが大好きで、
佐藤さんは中村さんのことがすっごく好き、という時の、
田中さんの、山田さんが好き、という気持ちと、
佐藤さんの、中村さんが好き、という感情は、
相手が違っていても、やはり、
同じ〝大好きっ〟だと思うのだ。
別の言い方をすると、もともとひとつだった
〝大好きっ〟〝愛してるーっ〟という神の想いを、
私はパスタが好き、私は山田さんが好き、
というふうに、解釈で分離させて感じている。
そして、
大好きな歌手、愛するペット、車やバイク、など、
もともとそれぞれ違う大好きとして、
別個に感じていた自分にとっての〝大好き〟から、
全てに共通した〝ひとつの大好き〟へ向かうとき、
解釈以前の、神の大好きが、夢の画面いっぱいに
立ち現れてくるのだな、と思った。