香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

前には何もない

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 👆僕の絵の能力ではこのクオリティが限界!

 

最近、

 

前方側と背後側という言葉を連発しているが、

 

自分の理解の為にも、

 

ここで少し整理してみようと思う。

 

 

先ず、前方側と言うのは、意識が、

 

目に見えている前側の世界を向いていことで、

 

背後側と言うのは、意識が、

 

目に見えない後ろ側の世界に向いている、

 

という意味で使っている。

 

 

また、

 

前方側へ向かう意識は、他者のことを、

 

前方に見えている肉体として認識しており、

 

背後側へ向かう意識は、他者のことを、

 

背後に存在する霊として認識している。

 

前方側へ向かう意識では、

 

肉体を突き抜けた向こう側に他者の意識があり、

 

背後側へ向かう意識では、

 

背後の無限の全体に他者の意識が存在する。

 

 

そして、

 

前側の肉体同志のやり取りから生まれる感情が

 

自我の投影となり、

 

後方の霊同士でのやり取りから生まれる愛が、

 

神の反映となる。

 

 

なので、

 

肉体の目で見える世界だけを感じていると、

 

バカ、と言われたら、なんだとーっ!

 

と言い返す世界となり、

 

そこには分離した自我同士の戦いが投影され、

 

背後の無限の全体を通して世界を感じると、

 

背後から回り込んできた神の愛が、

 

前方のスクリーンの裏側から滲みだしてきて、

 

見えるもの全てに愛と豊かさの反映を感じる。

 

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👆後ろから回って前から出てくる 

 

 

何が言いたいのかと言うと、

 

僕たちは、皆同じように、肉体を持ちながら、

 

この夢の世界を生きているのだけれど、

 

前方側=自我(罪悪/恐怖)を向いているか、

 

背後側=神(愛/平安)を向いているかによって、

 

分離や欠乏を〝投影した〟夢を見たり、

 

愛や豊かさを〝反映した〟夢を見たりする。

 

 

この投影と反映を混同してしまうと、

 

せっかく、神の豊かさの反映を感じているのに、

 

自分はエゴの世界を豊かだと感じている、とか、

 

エゴの豊かさなんてどうでもいいんです、

 

というような矛盾した思考に行きついてしまう。

 

 

なので僕は、

 

もともと無い自我(前方側)を見るより、

 

実存である神(背後側)へ意識を向けている。

 

そして、本当に在るものを智ると、

 

これは無い、あれは無だ、と言わなくても、

 

自然と無いもの(罪悪)は消えて行くのだった。

 

 

しかし、大抵、ほとんどの人は(僕も含めて)、

 

肉体(前方)の世界と、霊(後方)の世界を、

 

行ったり来たりしている。

 

嫌いな人にアイツムカつくーとやる一方で、

 

大好きな歌手が歌う愛の歌に涙したりする。

 

ただ、嫌いな人にイライラする世界と、

 

大好きな歌手の歌に涙する世界を、

 

物質世界(前側)の中だけで見ようとするから、

 

この歌に涙する自分はエゴに騙されている、

 

とか、この世界に豊かさはない、と思ったリする。

 

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世界を投影で見るか、反映で見るか、

 

はっきり、力強く、決断する。

 

反映で見るなら、たとえ夢の中であっても、

 

神しか存在しないとわかるだろう。

 

そして、すでにここが天国であることも…。

 

まあ、僕も24時間そうなってはいないけれど

 

神側(愛)だけを選ぶ決断だけはできている。

 

 

コツは(そんなものがあるとすれば)

 

前側を見過ごすこと、前側をスルーすること、

 

反映されてきた愛をきちんと感じて、

 

背後へ循環させることだ。

 

 

神の愛は、後ろを回って、前から出てくる。

 

相手の中から光を放って滲みだしてくるのだ。

 

 

そう、畑中葉子は真理を歌っていたのだ!

 

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僕のクセ

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今日は日本が勤労感謝の日で祝日だが、

 

香港は通常の平日である。

 

しかし、今日は有休消化で僕も休みなのだった。

 

この三連休は、

 

筋トレへ行ったり、行きつけのバーへ行ったり、

 

カフェでワイン&読書と、近場で過ごした。

 

なんせ僕は香港の六本木に住んでいるので、

 

(おーほほほっ!)遠出する必要がないのだ。

 

 

それ以外は、ほとんど寝てた。

 

もう本当に眠くて、夜11時くらいに寝るのだが、

 

あくる日、正午くらいに目覚めてもまだ眠く、

 

午後二時頃にようやく起き出す始末である。

 

まあ、

 

前側(自我側/投影側)だけで生きていた時なら、

 

せっかくの休日を無駄にした、となるのだろうが

 

背後側(神側/反映側)で生きるようになると、

 

寝ている時の方が豊かさ(神)の中にいられる。

 

仕事がない日などはまさに〝入りっぱなし〟で、

 

自分の中に全部ある感がハンパなく、

 

実存の〝反映〟を見て神の愛を感じている方が

 

自我の〝投影〟ばかりを見て、それは無い無い、

 

と叫んでいた頃よりすっごく豊かさを感じる。

 

 

というのも、あるとき、罪悪感や自我を、

 

無い無いと言って無いものを直視していても、

 

それは無いんだから意味ないじゃん、と気づいた。

 

「だって、無いんでしょ!」と思ったのだ。

 

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 というわけで、話は全然変わって、

 

人にはそれぞれ、多かれ少なかれ、クセがある。

 

髪の毛を掻き上げるクセや、歩き方のクセ、

 

といった行動的なものから、酔うとしつこくなる、

 

といった性格的なものまで、さまざまだ。

 

 

で、僕には昔から、爪を噛むクセがあったのだ。

 

これはもう幼少期からのもので、

 

緊張した時や、考え事をしている時などに、

 

無意識に爪を噛み、指の甘皮まで剥いてしまう。

 

なので、いつも爪は短くギザギザしていて、

 

指の皮膚もささくれ立っていた。

 

 

まあ、大の男が爪を噛むしぐさは、

 

はた目にもあまり気持ちのよいものではなく、

 

自分でも気にして直そうとするのだが、

 

焦ったりすると、やっぱり無意識にやってしまう。

 

 

原因は大体わかっている。

 

というのも、僕の母親のおっぱいが、

 

先天性の〝陥没乳頭〟であったため、

 

赤ちゃんの時に乳頭に口をつけてお乳を吸う

 

事ができなかったからだと思われる。

 

その補償行為として、5歳くらいまで、

 

ガーゼやタオルを咥えないと眠れなかった。

 

 

まあ、はっきりとした根拠はないのだが、

 

今になってみればこれも運命だったのだと思う。

 

 

それである時、もういいやと思い、

 

好きなだけ爪を噛ませてやることにした。

 

抵抗を止め、自分のクセを自分に許可したのだ。

 

見た目はよくないかもしれないけれど、

 

別に誰に迷惑をかけるわけでもなし、

 

何十年も噛んできたけど病気にもならなかった。

 

 ☟この時代はまだ投影と反映を混同していた

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で、暫くして、何かの拍子に自分の手を見たら、

 

あちこち皮がむけ、悲惨な状態になっていた。

 

その瞬間、自分に対して、

 

とてもひどいことをしていたことに気づいた。

 

僕がどんなに爪を噛んでも、

 

僕を生かそうとする何か大きな力が、

 

指の甘皮を再生させ、爪を修復させようと、

 

懸命に働いてくれているように感じたのだ。

 

その見えない愛に気づいたとき、

 

もう絶対に自分を傷つけない、と誓った。

 

 

それからも、

 

爪を噛みそうになる自分に気づいては止め、

 

指の皮をむきそうになる自分を見とめては、

 

自分は自分を傷つけない、と言い聞かせた。

 

 

それで、なんと、いま、生まれて初めて、

 

自分の爪がギターが弾けるほど伸びている。

 

そういう意味で、クセというものは、

 

自分が裏に持っているものを投影していて、

 

なんか面白いな、と思った。

 

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想いを伝える、愛を伝える

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自分が、誰かから何かを言われて、

 

瞬間的に怒りやモヤモヤを感じてしまった時、

 

相手に、その怒りをちゃんと伝えることができたら

 

一瞬のうちに、相手が愛と感謝に変わる、

 

という法則がある。

 

また、これと同じことを、大体3人くらいにすれば、

 

もう、自分の人生に、そんな相手が現れなくなる

 

という法則もある。

 

まあ、これらの法則は僕が発見したので、

 

そんなに巷には浸透していないと思われるが、

 

少々気まずくても、相手が目上の人であっても、

 

わなわな震えながらも、想いを伝えられた時、

 

それを受け止めてくれた相手に対して、

 

大きな愛と感謝が湧きだしてくるのだ。

 

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というのも、先日、上司である元コンババ部長に

 

ちょっとしたことで僕がキレてしまった。

 

彼と電話で話をする中で、

 

旧会社の清算について、担当の弁護士が

 

決算関係で困っている、という話になり、

 

ちゃんと協力してあげてくださいね、と言われて、

 

はい、わかりました、的な会話をしていた。

 

そのあとに、

 

「でないと、星谷さんに払っている清算業務の

 

    手当を取り消しちゃいますよ、冗談ですけど…」

 

と言われ、ははは、と笑いつつ電話を切った。

 

 

まあ、冗談交じりの普通の会話なのだが、

 

電話を切ったあと、なんかモヤモヤする。

 

冗談とは言え、何にも悪いことをしていないのに

 

どうして、手当を取り消しますよ、

 

などという言い方をされなければならないのか、

 

と思ったのだ。

 

しかし、相手も冗談で言っていることは明白だし、

 

会話している最中に言い返すのならまだしも、

 

わざわざ電話をかけなおして、

 

「さっき、言ってたあの事ですけど…」

 

と言っていくほどのものでもないような気がする。

 

でも、モヤモヤは収まらない。

 

 

これって自分を大切に扱っていない、と思った。

 

自分の愛を求める思いを無いものにしている。

 

また、

 

「世界は無で、幻想であり、何も起こっていない」

 

とやるのも違うと思った。

 

なぜなら、起こっていると思っているから、

 

モヤモヤしているわけで、

 

これを心の中だけで赦そうとすれば却って、

 

想いに蓋をすることになると思ったのだ。

 

 

 

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他の人に聞かれたくなかったので、

 

スマホを持って、ビルの非常口へ向かった。

 

元コンババ部長に再度電話をする。

 

「はーい、どーも、どーも」と相手が出てきた。

 

「あのう、さっき、手当を取り消しますよ、って、

 

    言ってたけど、取り消してもらっていいですよ」

 

と単刀直入に告げた。

 

それから何を言ったかはあまり覚えていないが、

 

「そういう言い方をされるのが嫌なんです!」

 

みたいなことを訴えていたような気がする。

 

相手は「へ、なんだ、このテンションは…」

 

と思いながらも、色々受け答えしていたが、

 

最後は「お気持ちはよくわかりました」

 

みたいになって会話を終えた。

 

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まあ、僕と彼とは長い付き合いで、

 

気心も知れているといのもあるかもしれないが、

 

想いをきちんと伝えた後どうなったかというと、

 

自分の想いをきちんと受け止めてくれた彼に対し

 

ものすごい感謝の念が湧き、彼のことが、

 

以前よりもすごく好きになったのだ。

 

今後、彼が何を言ってきたとしても、

 

多分、全く気にならないと思う。

 

 

午後からもフィリピン工場のことなどで、

 

彼とはチャットで色々やり取りをしたが、

 

全く普段通りだった。

 

 

それから、ひとつ誤解を避ける為に言うならば、

 

今回の件は、

 

正義を主張するために言ったのでも、

 

怒りを解消するために言ったのでもない、

 

ということである。

 

背後の完璧な愛の存在である自分や兄弟を、

 

信頼して言った。

 

そして、今回学んだのは、

 

愛しているよ、と言うだけが、

 

愛を伝えることではない、ということだ。

 

 

ゆえに、今後、逆に僕が、

 

誰かから怒りやモヤモヤをぶちまけられても、

 

今回の彼のように、

 

相手の想いをきちんと力強く受け止めよう、

 

と思うのだ。

 

だって、相手は怒りを伝えているように見えて、

 

本当は愛を伝えようとしているのだから…。

 

 

☟ 更新しました

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