香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

いち抜けピッ!

f:id:shusaku1:20210206234753j:plain

 

 

今日は一日寝ていた。

 

零時ごろに寝て、昼前に起きたにもかかわらず

 

昼食後も、なぜか、眠くて眠くて仕方がなく、

 

そのまま、夜の7時半まで寝ていた。

 

それで、フジの『ザ・ノンフィクション』を見ながら、

 

冷凍餃子の夕食を取り、風呂に入ったら、

 

また、眠くなってきた。

 

で、いま、眠さをこらえながらこれを書いている。

 

 

この時、自分の最大の望みに気づいた。

 

それは、

 

お金にも、時間にも、人にも縛られず、

 

好きな時に寝て、好きな時に起きる毎日を送る

 

ことだった。

 

 

そもそも、

 

大いなる全てから完璧に愛され、

 

世界から全肯定され、

 

神から1200%赦されている存在の自分が、

 

明日は月曜日だからもうそろそろ寝なきゃ、とか、

 

明日は仕事だから何時に起きなきゃ、とか

 

今週頑張ったら三連休だ、

 

なんて考えながら生きるのっておかしい。

 

f:id:shusaku1:20210206234725j:plain


 

また、本当は無限の存在である神の子の自分を

 

こんなにもみじめな存在にまで貶めているのは

 

紛れもない自分だった、ということにも気づいた。

 

 

制限されることを心の中で同意したのは自分だ。

 

それが、夢の世界に顕われている。

 

しかし、自分の中に神の子の力が戻ってくると、

 

〝別にそうでなくてもいい〟ことが分かってくる。

 

 

こうしなければ生きていけない、

 

これを受け入れなければ大変なことになる、

 

思うように生きたら人から何て言われるだろう…。

 

生きていけなくても、大変なことになっても、

 

何て言われてもいいのだ。

 

その覚悟を決めることが、

 

現実レベルでの神を選択することになる。

 

 

コースは現実を扱わない、と言われるが、

 

隠蔽できていると思っている自分の心の中が、

 

見える形となって全て現実に顕われている。

 

なので、

 

現実を直視することはとても大切だと思うのだ。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

というわけで、

 

今週木曜から春節の休暇に入る。

 

そして、僕はもうすぐ、毎日が春節となる。

 

 ⇩ 更新しました

shusaku1.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

気づいている感じ

f:id:shusaku1:20210206234603j:plain

👆 街市(市場)の食堂で食べた〝車仔麺〟

  もうスープがめちゃウマ!

 

 

スピの世界ではよく、

 

あの人は目覚めている、と表現したりするが、

 

〝目覚めている〟とはどういう感じなのか、

 

と考えてみた時、僕の場合、

 

今に気づいている、自分に気づいている、

 

神に気づいている、状態を指している。

 

 

今に気づいていると、過去と未来が消える。

 

自分に気づいていると、他者が消える。

 

神に気づいていると、世界が消える。

 

 

また、

 

今に気づいている時には平安を感じ、

 

自分に気づいている時には歓びを感じ、

 

神に気づいている時には無条件の愛を感じる。

 

 

そして、

 

今に気づいていると、

 

全てに受け入れられていることを理解し、

 

自分に気づいていると、

 

全てに愛されていることを理解し、

 

神に気づいていると、

 

自分も含めた全てが神だったことを理解する。

 


f:id:shusaku1:20210206234617j:plain

👆 自分でトッピングを選んで注文する

  この日は、つみれと牛の臓物を選んだ

  アイスミルクティー込みで約600円也 

 

 

これらの〝気づいている感じ〟を、

 

文章で説明するのは非常に難しい。

 

 

普段、僕たちは、

 

瞑想中や、一人静かに佇んでいる時など、

 

自分が、今ここに在ることを自覚できていたり、

 

無限の全体に開いて神を感じられている瞬間が

 

あったとしても、ちょっとスマホを見たりして、

 

注意が逸れた途端、さっと思考に乗っ取られ、

 

無意識状態に陥ってしまうことが普通だ。

 

 

そしてこの、

 

〝今、この瞬間に在る神に気づいている自分〟

 

でいることを全力で阻止しようと襲いかかってくる

 

思考や、妄想や、記憶などに警戒すること、

 

気づいている意識から離れることに警戒することが

 

奇跡講座で言われる、自我に警戒していなさい

 

の実践レベルでの真意なのだと理解している。

 

 

僕の経験上、禁煙やダイエットなどと同じで、

 

最初はキツいが、根性で訓練を続けていくうち、

 

ある領域を抜けると、あとは案外普通に、

 

〝気づいている意識〟でいられるようになる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

そしてまた、

 

この気づいている意識になって初めて、

 

本当に赦すことができるのだと実感している。

 

結局、

 

無意識の状態で赦しなんかできっこないのだ。

 

 

そういう意味で、僕は今、本当の意味で、

 

世界を赦し始めているのだな、と感じている。

ブスだと信じる頑固な美女

f:id:shusaku1:20210128000026j:plain

 

 

久しぶりに兄弟てっちゃんとLINEをしている。

 

連絡を取るのは本当に久々で、

 

色々と近況を伝え合った。

 

そんな彼との会話を通じて感じたのが、

 

人にはそれぞれのストーリーがあり、

 

全く違った導かれ方をしてはいるが、

 

最後は必ず神にたどり着くから何の問題もない、

 

ということだった。

 

 

兄弟てっちゃんの目には、

 

僕がいつ会社を辞めて独り立ちをしても、

 

全然やっていけると映っていたらしいのだが、

 

当の僕は 「そんなの怖くて絶対に無理!」

 

と、思い込んでいた。

 

帰還道場である会社で様々な赦しを実践し、

 

内なる神の愛が復活し始めた数年前から、

 

もうここは自分の居場所ではない、

 

と気づいていながら、この慣れ親しんだ場所を、

 

どうしても怖くて手放せずにいた。

 

 

僕は、その時、神へとたどり着く導きの流れに

 

抵抗していたんだと思う。

 

 

しかし、もういいや、と、自分の内部を流れる

 

ハートの法悦の激流に身を委ね、

 

このまま神まで行っちゃえ、と、

 

流れに逆らうのを止めて、力を抜いた瞬間、

 

どわーっ、と神まで流されてゆき、

 

気がつけば自分が歓びそのものになっていた。

 

と同時に、巨大な大丈夫感、に凌駕され、

 

無限(神)が自分に復活した。

 

それでようやく今、

 

自分は真に自由だったんだ、と感じられている。

 

 

f:id:shusaku1:20210128000037j:plain

 

 

なので僕の場合は、この夢の現実を、

 

ただ、無い無い無い、とやるのではなく、

 

今自分が何を信じているのかを観るための場所

 

という風にとらえている。

 

世界のあちこちに神を感じられれば、

 

自分はいま、神を信じられている。

 

 

どんな絶世の美女であっても、

 

「私はブスだ!」と本人が信じていたら、

 

誰が何と言おうと、彼女はブスなのだ。

 

 

結局、

 

自分が何者であるかを決めるのは自分である。

 

それであれば、

 

親や友人から言われ続けた言葉や、

 

過去に経験した苦い失敗の体験から、

 

自分がどんな存在なのかを決めるのではなく、

 

先ずは、内なる心の友の声に耳を傾けるのだ。

 

 

☟ 兄弟てっちゃんシリーズ!

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

じっと内側の流れに身を任せていると、

 

本当はこうでありたかった自分が、

 

大手を振って駆け寄ってくる。

 

その自分に一切抵抗せず、ただYESと言う。

 

それが、

 

心の友である聖霊を受け入れることになる。