香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

先手で勝負! 

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自分の中に神の力強さを取り戻せていないのに

 

兄弟の幸せを考えたり相手を愛で観ようとすると

 

逆に相手から、わがまま勝手な反逆を食らって、

 

ヘタをこく、ことがよくある。

 

 

自分に力を戻せていないと、

 

私は神の子です、の後に、なぜか、

 

あの人も神の子です、と付け加えてしまう。

 

自分だけを神の子、と宣言してしまうことに、

 

後ろめたさというか、罪悪感を感じてしまうのだ。

 

そして、

 

罪悪感が軸となった〝あの人も神の子です〟が

 

相手に攻撃をさせるきっかけを作っている。

 

なぜなら、

 

自己の内面を映し出しているのが他者なので、

 

自分の中に神の子としての自覚が確立されれば

 

幻想の他者は自動的に神の子に変わるのに、

 

わざわざ、あの人も神の子です、とやることで、

 

他者を先手にして実在化させてしまっている。

 

 

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なので、なにはともあれ、自分に集中する。

 

自分の全てを肯定し、自分の全てに許可を出し、

 

無限の全体の主体は神の子である私だ、

 

が自覚されて初めて、あの人も神の子です、が、

 

ひとつの神の子として背後に知覚されてくる。

 

 

とは言っても、

 

自分を後手にすることに慣れている人が、

 

いきなり、自分を先手にするのも無理がある。

 

なのでまずは、頭の中を変えることから始める。

 

 

職場などで、相手から攻撃されたりしていたら、

 

「よし、どんなことでも全部、受け止めてやる!」

 

と力強く覚悟を決めて自分に宣言してやる。

 

そうすることで「また攻撃される、怖いよー」から

 

「受けて立ってやる」に意識が変わったことで、

 

少しだけ強さが自分に戻ってくる。

 

 

相手の言動にすっごくムカついたら、

 

「腹立つ、腹立つ、ムカつくぅーっ、死ねえー!」

 

と、思い切り一人きりの場所で叫ばせてやる。

 

そうすることで「言い返せない自分に悶々…」

 

から「好きなだけ吐き出させてやるんだ」と、

 

少しだけ楽な気分になる。

 

 

怒りを爆発させてしまう自分が赦せなかったり、

 

他者の言動で自分を責めたりする状態で、

 

相手を赦すとか、愛で観るとか、無理だし、

 

「怒りは決して正当化されない」というのも、

 

自己の内部に力強さが戻って初めて、

 

心からそう宣言できる。

 

 

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なので、

 

先ずは〝私〟を受け容れることで神を受け容れ

 

私が本当は神と同じ神の子だったと智ることで、

 

神しかなかった、神だけだった、となり、

 

故に、はなから私など存在しなかったと気づき、

 

他者も同様だった、と自覚できるようになる。

 

結局、自分に気づくことが神に気づくことなのだ。

春眠不覚暁

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春眠、暁を覚えず。

 

金曜の夜から日曜の夕方にかけて、

 

食事の時以外はずっと寝て過ごした。

 

昨日は深夜1時半くらいに寝て、

 

今日起きたのが、なんと午後3時であった。(怖)

 

別に体調が悪いわけでもなく、

 

無理に〝エイヤーッ〟と起きてしまえば、

 

そのまま普通に起きれたと思うが、

 

ここはもう、自分の身体の欲求に従おうと、

 

ただ、グダグダ惰眠を貪ることを自分に許した。

 

まあ、一人暮らしって、こういう時には便利だ。

 

家族や同居人がいると、

 

14時間も寝てたら絶対、何か言われるし、

 

そろそろ起きないと何か言われる、

 

と勝手に忖度してしまったりもする。

 

 

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惰眠の間、へんてこりんな夢をいくつも見た。

 

 ひとつは、

 

僕はあるコースのコミュニティに参加していて、

 

そこの全コース兄弟から嫌われる、というもの。

 

それも、コースを学ぶ上での方向性の相違から

 

いろいろ言われて嫌われるのではなく、

 

脱いだパンツを脱衣所に置きっぱなしにしていた

 

とか、人の靴下を勝手に穿いた、

 

というようなことで嫌われていたのだった。

 

それで最後は、

 

全コース兄弟を代表した兄弟てっちゃんから、

 

もう二度と、パンツも靴下も穿くな、

 

と注意されたところで夢から覚めた。

 

 

もうひとつは、

 

僕は命の大恩人に会いに行くため、空港にいる。

 

しかし、なぜか空港のあらゆる扉が封鎖され、

 

飛行機のゲートまでたどり着くことができない。

 

そこで〝ダイキンのエアコン〟を一台運べば、

 

飛行機に乗せてやると言われ、同意するのだが

 

いつの間にか、エアコンは箱ごと盗まれてしまう。

 

しかし、日本航空のCAから、

 

盗んだのはあの人だ、と耳打ちされ、

 

本人を問いただすと、なぜかすんなりと、

 

エアコンを返してくれたので飛行機に乗れた。

 

そしてついに、北海道っぽい真冬の海岸で、

 

その命の大恩人と対面するのだが、

 

その大恩人がなぜか、えなりかずき、だった。

 

 

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その他、これ以上でもこれ以下でもない夢を、

 

いくつも見たが、このとき思ったのは、

 

僕達は、無数のパラレルを同時に生きており、

 

それが眠っている間に混線を起こし、

 

へんてこりんな夢となって現れるのではないか、

 

ということである。

 

なんていうか、眠っている間にパラレル同士が、

 

情報を交換し合っているようにも思える。

 

こうして、僕がハートの愛や感謝を感じれば、

 

それが僕の全パラレルに波及し、

 

夢が書き換えられたり、削除されたりしながら、

 

最後は、

 

幸せな夢となって終わりを迎えるのだろう。

 

だから、睡眠はとても大事だな、と思った。

 

 

 

開きっぱなしの日常

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今日は2週間ぶりに、トレーナーと筋トレをした。

 

胸の筋肉は、すでにある程度仕上がったので、

 

これからは、背中を重点的に鍛えていくという。

 

それで、背中ばかり4種類のマシーンをやった。

 

ガンガン追い込まれ、もう息も絶え絶えだった。

 

背筋って地味な筋肉だが、ここを発達させると、

 

逆三角形の男らしい背中になるらしい。

 

それに最近少し痩せすぎなので、もうそろそろ、

 

炭水化物を増やした方がよい、とも言われた。

 

えっ、痩せすぎ? おお、なんて素敵な言葉!

 

 

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話は変わって、最近瞑想をしている時だけでなく

 

一人電車に揺られている時、道を歩いている時、

 

スーパーでレジ待ちをしている時、カフェにいる時

 

果ては、仕事中、会議中、入浴中、食事中など、

 

あらゆるシーンで、背後の神に開いていることを

 

意識しながら過ごしている。

 

ヒマさえあれば、背後の無限の全体へと開き、

 

ハートの愛の歓びに気づきながら生活している。

 

以前は、意識が前のめりになっていたり、

 

恐怖や不安を感じたり、瞑想をしている時だけ、

 

背後に在る無限の存在(神)を想い出していた。

 

しかし今は、少しでも一人の時間ができると、

 

即座に背後へと還り、開いたままにしている。

 

なぜ意識的にこういうことをやるかというと、

 

やはり、肉体を持って夢の世界に存在していると

 

すぐに背後を忘れてしまうので、こういう日常の、

 

コマ切れの時間に〝気づいて戻る〟ことは、

 

とても大切だ、と思ったのだ。

 

 

例えば、スーパーのレジで順番を待ちながら、

 

ずっと、背後側の神へと〝開いた〟感じでいる。

 

何かを得ようとか解決しよう、という意図を持たず

 

ただ、背後に向けて、オープンに広がっている。

 

 

そうやって、何度も何度も繰り返しているうちに、

 

なんか、軽い瞑想状態で日常を送るようになり、

 

その瞬間、意識は無限へと拡大している。

 

 

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だが、愛で過ごす時間が多いからと言って、

 

平安で幸せな出来事しか起こらないのか、

 

と言えば、決してそうではなく、

 

腹も立つし、悲しい思いもするし、不安にもなる。

 

実際、何だオマエ、と言い合いをしたりする。

 

なんていうか、

 

こんなこと思っちゃダメ、そんなこと言っちゃダメ、

 

こんなことになったらどうしよう、

 

というのも含めて、愛として悦んでいる。

 

とうわけで、後ろ側 (神側/兄貴側)へ、

 

開きっぱなしの今日この頃である。