ビフテキのスエヒロでランチをする
僕には、
在日コリアで元山口組系の友人がいるのだ。
彼はコンビニへの配送業務の仕事をしているのだが、
上司を怒鳴りつけて辞めてきた、と、
今日、彼からLINEが入った。
彼はピョンヤンに行って金日成にも会ったことがあり、
極道から足を洗ってからは、北海道で漁師となって、
場末のスナックのママと同棲しながら数年を過した後
地元大阪へ戻り、今の配送業の職に就いた。
それでいて、かなりいい大学を出ている。
安易に生活保護を受けている人が大嫌いで、
理不尽な扱いを受けた時には、はっきりノーという。
短髪でガタイもよく、ちょっとイカチイ系だ。
「タカ(仮名)は働きすぎなんだよ。
まずはゆっくり休んで、考えればいいよ。
今回の事が、
自分を変えるきっかけになるといいね」
とLINEで返した。
「周作の言葉、しみるわー」と返信があった。
僕は彼の〝生きざま〟が大好きである。
波乱万丈でいて、自分を貫いて恥じない。
そのくせ、やった後でめちゃくちゃ落ち込む。
本当に、小説にしたいくらいのすごい生き方だと思う。
(本人は全くそのようには思っていないのだが…)
僕は彼のようには生きられないし、
彼も僕のようには生きられない。
人には人それぞれの、
持って生まれた〝生きざま〟があるのだ。
だから、自分の生きざまにもっと自信を持っていい。
なぜなら、
自分がそれを決めて生まれてきたのだから…。
上司の要求に全力で応えようと頑張ることも、
言いたいことが言えずに後悔ばかりであっても、
好きなことに金を使って破産しようとも、それは、
自分だけにしかできない、固有の生きざまであり、
何の問題もない。
なのに僕は、こんな生きざまはイヤやーっ、と、
全力で駄々をこねてきたことに気づいた。
自分の生きざまに覚悟を持ち、自信を持つこと、
それが、全許容であり、自分を赦すことである、
と、この年になってようやく理解が起きた。
友が自分の生きざまを見せてくれたお蔭で、
自分だけの生きざまを貫く腹が決まったのだ。
いま、目の前で起こっていること。
相手からグサッとくるような一言を言われたこと。
上司からダメ出しを散々食らったこと。
いつもここにあると思っていたものが、
一瞬のうちに、ガラガラと音を立てて崩れていったこと。
自分の生きざまの中で、どんなことが起こったとしても、
それは、本来の自分に戻るために起こっている。
あれからまた彼からLINEが来て、上司に説得され、
怒鳴ったことを先方に謝り、辞めるのを止めたそうだ。
しかし、けじめとして、頭を丸めたと言って、
写真を送って来た。
えっ? もともと坊主やったやんけ!