香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

置いてきた自分

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出張もなく、毎日事務所で一日を過ごすボクである。

 

それで今日、会計ソフトの中の売掛金を精査していたら、

 

245ドル(約25,000円)の過剰受取金が出てきた。

 

つまり、客先から代金を、

 

請求書よりも25,000円多く受け取っている。

 

しかも日付が去年の三月になっている。

 

エドワードに訊いて、色々調べてゆくと、

 

先方にインボイスを送った後、単価間違いが分かり、

 

25,000円少ない額のインボイスに修正したが、

 

修正後の正しいインボイスを先方に送っていなかった。

 

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先方とやり取りして返金処理をするのも面倒なので、

 

内部だけで雑損で処理してしまおうか、とも思ったが、

 

決算時に監査人から指摘されて処理するのも嫌だし、

 

多く受け取ったのなら、事情を話して返金すればいい、

 

と軽く考え、こうこうこういう事情で返金させてください、

 

と、客先の社長へメールを送った。

 

 

ほどなく、客先の社長から返信が来た。

 

こっちはすでに決算が済んでおり、

 

期を跨いで処理をすることはできず、それになにより、

 

なんで去年の三月のことを今頃になって言ってくるんだ、

 

オタクは一体どんな管理をしているんだ、みたいな、

 

こちらの否を責めるような内容だった。

 

しかも、うちの社長にもCCが入っている。

 

 

こんなとき、今の自分であれば、はい、よろこんで、と、

 

いま在る神に抵抗せずにいられる、はずなのだが、

 

今回に限って、ムッカーと、怒りが湧きおこってきた。

 

 

たった25,000円の処理で何を言ってるんだ?

 

そっちも、請求書の中身をチェックしてなかったんじゃん。

 

なんで、俺が責められなきゃいけないんだ。

 

こんなことになったのは、ミスをしたエドワードのせいだ。

 

さまざまな思考がないまぜになり、その時の自分はもう、

 

〝ち・が・う・だ・ろー、ちがうだろーっ、ハゲーっ!〟

 

の豊田議員状態となっていた。

 

(ちなみに、エドワードはハゲではない)

 

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日常茶飯事で起こる、業務上の些細なトラブルに対して、

 

ここまでの怒りはちょっとおかしい、と自分でも思った。

 

で、しばし仕事の手を停め、今ここに在る怒りに抵抗せず

 

ただじっとしていると、突然、昔、僕の部下だった、

 

藤井君と笠原君の顔が、ふっ、と浮かんできた。

 

次の瞬間 「ああ、この社長、俺だったんじゃん!」と、

 

全てがバッコーンッ、と腑に落ちた。

 

 

まだ僕が30歳そこそこだった頃、

 

僕は2人の部下にひどいパワハラをしていた。

 

そのせいで、彼らは体調を悪くし、会社を辞めて行った。

 

しかも、当時の自分は、パワハラをしている自覚もなく、

 

むしろ、部下思いの熱血上司だ、とさえ思っていた。

 

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その時のことを思い出した時、

 

過去に置き去りにした、まだ赦されていない自分が、

 

客先の社長に姿を変えて、今の自分に会いに来ており、

 

過去に置き去りにした、まだ赦されていない他者たちが、

 

エドワードに扮して、今の自分に会いに来ているのだ、

 

と思った。

 

 

要するに、その当時の自分を今も赦せていないから、

 

過去の自分が赦しを得るために、

 

他人のふりをして、今の自分に会いに来ているのだ。

 

 

自分を動揺させる他者は全て、赦されていない自分だ、

 

ということに気づいた瞬間、

 

僕は、藤井君と笠原君に対して、心から謝罪していた。

 

正確に言えば、

 

エドワードに扮した藤井君と笠原君に謝っていた。

 

また、客先の社長に扮した過去の自分も赦した。

 

すると、それまで豊田議員状態だった怒りが、

 

すーっと、なりを潜めてゆくのが感じられた。

 

最終的に、今回のこの件に関しては、

 

金額も少額なので返金はしないことでケリがついた。

 

 

僕たちは、

 

自分を不快にさせる他者を不快に思っているのではなく

 

不快なことをしていた過去の自分を不快に思っている。

 

そういう意味で、他者を赦せば、自分も赦される、

 

というのは真実である。

 

結局、ここには自分しかいなかったのだ。