👆 あーあ、やっちゃった。 👆
前日のパワハラの記事の後で、この話題はナンなのだが
小学5年生の頃、僕は学校でイジメられていた。
原因は、野球やソフトボールが苦手だったから…。
苦手というより、全く興味がなかった。
それより、テニスなどの個人競技の方が好きだった。
しかし当時の日本は、野球8割、その他のスポーツ2割、
くらいの比重で、スポーツと言えば野球、
小学生男子のあこがれと言えばプロ野球選手、
テレビでも、他の番組の放送を中止してでも、
プロ野球のナイター中継を放送していた時代だった。
クラスでは、
毎朝、前日のナイター試合の話でもちきりとなる。
体育の時間も、男子だけソフトボールをする。
僕は、野球のルールもよく知らず、
ソフトの試合でも、まったく戦力にならない。
やがて、野球知らず、というあだ名をつけられ、
それから、野球ができない奴は男子ではない、
男子でなければ女子だ、となり、
最終的に、オカマだ、となった。
当時、ちょうどおすぎとピーコが流行っていて、
オカマという言葉が大流行していたのだ。
それから、事あるごとに、女子の方へ行け、とか、
野球ができん奴は入ってくんな、と言われるようになり、
僕にとって、体育の時間や、休み時間が地獄になった。
なぜなら、休み時間になると、男子はみんな、
校庭に出て庭球野球をするからだ。
僕は、女子だけが残る教室にいるのがいやでいやで、
校舎の屋上に続く踊り場で時間を過ごしたりしていた。
今の自分なら、
そこまでして仲間に入れてもらわなくて結構です、
てな具合で、図書室で本でも読んでいただろうが、
何といってもまだ小学生だったし、当時は今のように、
不登校とか学校へ行かない、という選択肢はなかった。
ただただ、八三五にされることが怖くて仕方なかった。
6年生から中学へ上がる頃になると、皆、思春期を迎え、
野球一辺倒ではなくなってきたため、次第に、
イジメ、というか、差別みたいなのは無くなっていったが、
なぜか今日、当時の事がしきりに思い出され、
胸がズキーン、となるのだった。
👆それでもあなたは悪くない!👆
自分の気持ちをじっと観察した。
過去の自分が会いに来ているのだな、と思った。
ちょうど土曜日で、時間や心にも余裕があったので、
ソファに胡坐をかき、じっくり当時の自分と向き合った。
当時の悲しみや苦しみをじっと見つめているうち、
大きな罪悪感と共に、激しい憎しみが湧いてきた。
最初、自分をイジメた相手に対する憎しみかな、
と思っていたが、ようく、ようく、見てゆくと、
それは、自分自身に対する憎しみだと分かった。
毅然とした態度もとれず、言い返すこともできず、
ふにゅふにゅしていた自分への憎しみ…。
それはまさしく、
相手から、自分をちゃんと守れなかった、
当時の自分自身に対する憎しみだった。
本当は、相手の心ない暴言に対して、
「アホか、野球みたいなもんに、興味なんかないんじゃ」
「お前らなんかの仲間に入れてもらわんでも結構や!」
「野球選手にもなられへんくせに偉そうにすんな、ボケ」
「お前らと仲良くする義務なんか俺にはない」
と、毅然としていれば、それで済んだ話だったのだ。
しかし、当時の自分は何も言い返せなかった。
相手が正しくて、自分が間違っている、と思っていた。
そういう意味で、イジメのトラウマって、
相手から何をされたか、というよりも、
〝いじめをホイホイ受け入れてしまった当時の自分〟
を赦せない、という部分から来ているのかもしれない。
過去の自分を赦す。
それでも君は悪くない、と赦してゆく。
「仕方ないさ、あの時はあれが精一杯だったんだから。」
「それに、相手からどんなに攻撃されても、
当時の君は決して相手を攻撃しなかったじゃないか。
じっと耐えたじゃないか。それこそが本当の強さだよ。
僕は心から君のことをすごいと思っているよ。」
「本当によく頑張ってくれたね。それでよかったんだ。
だって、今の僕がこうして幸せでいられるのは、
あのとき、仕返しもせずにちゃんと耐えて、
これ以上のカルマを作らずにおいてくれた
君のおかげなんだから。」
「本当に会いに来てくれてありがとうよ。」
ちゃんと言葉にして会話したわけではないが、
こんな感じで、当時の自分を解放していった。
最後は、様々な思いがすーっと消えていくのを感じた。
そうして、赦し終わってみれば、
ああ、これも、自分の心の中だけで起こっていることで
実在ではなかった、ということが分かる。
というわけで、
相手がどうであろうと、最後に赦すべきは自分なのだ、
ということを学んだ土曜の午後であった。