神と自分との関係って、
相思相愛の大恋愛に似ている、と思う。
神はどんな時でも、僕たちに恋している。
なのに、僕たちの方はどうかと言うと、
「自分は愛される資格なんかない」
「無条件に愛されるなんてキモくて怖い」
「神に愛されて一体何のトクになるんだ?」
「大金持ちにしてくれるんなら、まあいいけど…」
てな具合で、かなりなこじらせ具合である。
それでも神はあきらめない。
僕達が相思相愛であることを知っているので、
好きだよーっ、とガンガン猛アタックをかけてくる。
しかし、僕たちが夢の現実でそれを感じるとき、
本当は神が、好きだよ、とツンツンしているのに
〝電車で隣の人のカバンが当たって、うざっ〟
みたいに感じられる。
そもそも、自分と神は無条件に愛し合っており、
無条件に自らの全てを差し出し続けている。
それを認めて受け入れてゆくには、
無条件に愛し愛されているという〝気分〟を、
自分の中で知覚させてやることが大切である。
例えば、自分が愛おしいと思えるようなもの、
子供、仕事、ペット、洋服、家、恋人、植物、など、
無条件に何かを愛でている時に込み上げてくる
至福や、歓びや、愛おしくてたまらない〝感じ〟
に気づき、その気分を意識的に知覚するのだ。
それら愛おしい感覚は、神が僕たちを愛おしい
と思う想いに近いものであり、その自覚が進むと
怒鳴られようが、道で転ぼうが、失敗しようが、
全部が神からの〝好きだよーっ!〟になる。
そういう意味で、父との相思相愛を智覚するには
自分の内側(背後側/内面)を、
〝愛の感じ〟で満たしていく必要がある。
それにはまず、何はともあれ、
自分を責めることをやめることだ。