香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

チルチル満ちる

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神と自分との関係って、

 

相思相愛の大恋愛に似ている、と思う。

 

 

神はどんな時でも、僕たちに恋している。

 

なのに、僕たちの方はどうかと言うと、

 

「自分は愛される資格なんかない」

 

「無条件に愛されるなんてキモくて怖い」

 

「神に愛されて一体何のトクになるんだ?」

 

「大金持ちにしてくれるんなら、まあいいけど…」

 

てな具合で、かなりなこじらせ具合である。

 

それでも神はあきらめない。

 

僕達が相思相愛であることを知っているので、

 

好きだよーっ、とガンガン猛アタックをかけてくる。

 

しかし、僕たちが夢の現実でそれを感じるとき、

 

本当は神が、好きだよ、とツンツンしているのに

 

〝電車で隣の人のカバンが当たって、うざっ〟

 

みたいに感じられる。

 

 

そもそも、自分と神は無条件に愛し合っており、

 

無条件に自らの全てを差し出し続けている。

 

それを認めて受け入れてゆくには、

 

無条件に愛し愛されているという〝気分〟を、

 

自分の中で知覚させてやることが大切である。

 

例えば、自分が愛おしいと思えるようなもの、

 

子供、仕事、ペット、洋服、家、恋人、植物、など、

 

無条件に何かを愛でている時に込み上げてくる

 

至福や、歓びや、愛おしくてたまらない〝感じ〟

 

に気づき、その気分を意識的に知覚するのだ。

 

それら愛おしい感覚は、神が僕たちを愛おしい

 

と思う想いに近いものであり、その自覚が進むと

 

怒鳴られようが、道で転ぼうが、失敗しようが、

 

全部が神からの〝好きだよーっ!〟になる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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そういう意味で、父との相思相愛を智覚するには

 

自分の内側(背後側/内面)を、

 

〝愛の感じ〟で満たしていく必要がある。

 

それにはまず、何はともあれ、

 

自分を責めることをやめることだ。