火曜日である。
昨日の勘ぐりビュンビュンの中で試みていた、
それは起こってない➡無限の自己を思い出す、
は、ちょっときつかったので、今日はとりあえず、
今に開いてただありのままの流れを許容する、
で一日を過ごしてみた。
どんな思いが上がってきても、
これは取り消されるために上がってきたんだ、と、
兄貴と共に、何の解釈もせずに受け入れるのだ。
なんか月曜日に〝これは起こってない〟を、
あまりにガンガンやりすぎたせいか、
昨夜、書斎でひとり瞑想をしていた時、
この世界って本当にない、という〝感じ〟が、
一瞬、どくんっ、とみぞおちを掠めて通りすぎた。
そこから、ああ本当になかったんだあ、
という理解と共に、歓びが拡がるのを感じた。
それで今朝、バスの二階席の最前列に腰かけ、
通り過ぎる街の風景を眺めていると、
道行く人たちが、どこか実在ではないような、
夢の中で夢の映像を見せられているような、
この景色が自分とは全く関係のないもののような
不思議な感覚に襲われたのだった。
意識が奥の方へ少し下がった位置から、
この幻の世界を見ているような感じなのだ。
しかし、会社に到着し、仕事が始まると、
この〝世界はない感〟がみるみる薄くなり、
外側の出来事に意識が向かい始めた。
この時、集合意識ってすごいな、と思った。
よく、自分が高い周波数を維持していると、
どんな場所にいても喜びでいられる、というけれど
どうしても自分が留まりたいと望んでいる場所が、
居心地悪いのなら理解できるが、
もうここではないと分かっている場所で、
無限の全体で在るなんて、無理だと思う。
なので今後は、自分が何をしたいか、ではなく、
自分はどんな意識(気分)でいたいのか、で、
自分の〝居場所〟を選択してゆく。
まあ、今の僕がまさしくそうで、
朝、会社の扉が見えただけで、狭い檻の中に、
ギュッと押し込められるような不快感に襲われ、
その時点でもう、ダメ、となってしまった。
このように、以前であれば何でもなかったものが、
無限の全体の方へ開いてゆけばゆくほど、
窮屈感を感じて、ものすごい抵抗になる。
しかし、こんなことを会社の誰かに言っても、
絶対に理解されないだろう。
自分って今まで、こういうことを話しても、
誰も理解しない世界で生きてきたんだ、
と改めて実感した。
なので今日は、無理に何かをしようとはせず、
起こっていることにただ開き許容していた。
それが自分に最も優しい方法だと思ったから…。