
👆大学は校舎が何棟もあって広いので、
いちいち職員室へ戻っていられないため
各校舎に先生の休憩室がある。
休み時間はここで休む
自我の戦略のひとつに、
〝過去を後悔させる〟というのがある。
「あの時、ああしておけば、こんなことにならなかった」
というやつだ。
先日、メインで教えている方の大学の来期出講予定
について、教務主任の先生とミーティングをしたのだ。
僕が出講希望書に書いた希望は二つだ。
1.午後の授業のみを担当させてほしい。
2.過去に教えた教科のみを担当させてほしい。
僕は朝が苦手だし、過去に教えた科目なら、
すでに作った教材があるので、準備の必要がない。
僕が過去に教えたことのある教科は、
小論文と国文法と漢字なのだが、
その中で、国文法の授業は来期からは全て、
午前のカリキュラムに変更になったというのだ。
えっ、あんなに苦労して作った教材が使えない?
そこで、
午前でもいいので入れてくださいと申し出た。
が、主任曰く、この国文学の授業のために、
すでに新しい先生を採用してしまったという。
「午前に出講してくださる先生が本当にいなくて、
星谷先生も午後しかダメと書いておられたし、
午前もOKだったら絶対にお願いしていたんですが」
と、残念そうに言われた。

午後しかダメとか、以前教えた教科しかやらないとか、
いらぬ主張をしなければこんな事にはならなかった、
と、後悔の念がムラムラと湧き上がってきた。
また、希望書を提出する前に教務主任と話していれば
理想通りの授業カリキュラムになったはずなのに、
バカバカバカ、と自分を責める気持ちも出てきた。
いやいやいや、ちょっと待て、待て待て待て!
俺は完璧に神に愛されている神の子じゃないか。
希望書を提出する時に、神の子がそう思ったのだから
それで完璧であり、最善であり、問題はないのだ。
なぜなら、どんな選択をしても自分は愛されている。
国文法を教えても教えなくても自分は愛されている。
そもそも、何がベストかなんて自分には分からない。

なんであんなことを言ってしまったんだろう。
あんな選択さえしていなければ今頃は…。
どうしてあんな人を信用してしまったのか、バカバカ!
僕たちは、大小さまざまな後悔の念を抱く。
ただ、問題なのは、後悔そのものではなく、
後悔することで湧き上がってくる罪悪感である。
何を選択しても、どんな後悔をしても、
そんなことはどうでもいい。
重要なのは、
「ほうら、おまえ、やっちゃったな」という、
詐欺師の声に気づき、それをウソだと見抜いて、
即行で兄貴を選び直すことにある。
日常の様々なことに、後悔からくる罪悪感を持つのは、
毎日自分のメールアカウントに届く、
無数のフィッシングメール(詐欺メール)を全部開いて、
言われた通りにクリックしているようなものだ(怖)。
(そんな恐ろしすぎることをする人はいないと思うが…)
それを詐欺師(自我)からのメッセージだと気づいて、
迷惑メールボックス(兄貴)にポイするまでは
自分の責任で、あとの削除は兄貴がする。
僕はもう、現実をそのこと(赦し)だけに使う。