ここ一週間、ずっと、神、神、神、で過ごしてきたせいか、
今朝、起きた瞬間 「あっ、今、自分は神の中にいる。」
と、突然、深い理解の中で目覚めた。
うまく説明できないのだけれど、それは何て言うか、
何かを通して神を見るのではなく、
自分はもうすでに1ミリもずれることなく神の中にいて、
自分も含め〝ここ〟がそのまま神そのものの世界で、
愛そのものだった、という理解、そして何より、
この神の世界こそが真の自分だった、ということを、
突然思い出したように理解したという感じである。
仕事も、人間関係も、全て神の中で行われており、
パソコンも壁も天井も、本当は神そのものだった。
それはパソコンでもなくスマホでもなく神だったのだ。
なので今後は、創作活動も、仕事も、日常生活も、
ここが神の中であることに気づくために行われる。
そして、神に気づいているのが自分なのではなく、
気づかれている愛の想念こそが真の自己だった、
と理解した瞬間、あらゆるものが神になった。
自分は神の中にいるという感覚はやがて、
神の想念そのものへと移行してゆき、誰を見ても、
何を見ても、それらは全て罪のなさに輝いている。
なぜか景色が、くっきりはっきり、鮮明に見える。
また、ごく普通のカフェに並ぶコップでさえ、
その並び方がアートっぽく、秩序立って見えるのだ。
そして、その奥に真の自己である霊を発見する。
それから、また人々からガン見され始めた。
電車で向かいに座っている人が、
エレベーターで乗り合わせた人が、
レストランで向こうの席に座っている人が、
何かに驚いたように僕の方を凝視してくるのだ。
神にガン見されているのだ、と思った。
なんか、
この肉体の自分は、神を映す鏡なのだな、と思う。
例えば、自分の体が鏡でできているとして、
自分の体に映る神を見て、おお、自分に中に神がいる、
ひょっとして、俺って神だった?と勘違いしてしまった。
本当は、
鏡に映っている〝現物〟の方を観るべきなのに…。
そんな感じで、今日は、マッサージに行ってきた。
全身マッサージされながら、神を感じていた。
マッサージの快感に気づいているのではく、
神の想念に気づいているのだ、と…。
お正月休みも明日で最後となるが、
今回の休暇は家で本当にのんびり過ごせた。
今年は自分にとっても大きな転換期な気がすので、
今のうちに鋭気を養って、新たなシナリオに備えるのだ!