👆 家からふらっと歩いてやってきて、
曽根崎でランチをして帰る。
これぞ、都会暮らしのだいご味である!
こんな僕にネパールは無理!
少し前の記事で、日本語教師の資格を取得した後、
ネパールで学生に日本語を教えながら、
日本へ留学生を派遣する仕事をしてみないか、
という話がでている、というようなことを書いたが、
先日、実際にネパールでその仕事をしている人と、
ビデオ通話でいろいろ具体的な話をしたのだ。
彼は、先日僕が八尾で会ったネパール人の校長が
経営する日本語学校で日本語の先生をしながら、
日本へ生徒を派遣する仕事をしている。
29歳の好青年でネパールへ行って一年になる。
生徒を1人派遣すると、日本にある日本語学校から、
10万円のキックバックがもらえるしくみだ。
もし、僕が彼の仕事を手伝うことになれば、
八尾にある会社の役員となって厚生年金と社会保険
は確保してもらいつつ、キックバックで稼ぐことになる。
彼いわく、現在、毎月最低10人ほどを派遣しているが、
僕と二人体制でやれば、30人は派遣できるという。
👆 カウンターで昼呑み~!
だが、ネパールでは、一般企業を含め、学校や商店も、
朝6時始まりで、日本語学校の授業も6時からとなる。
午前中、授業をして、午後は生徒たちのビザ手続き
などの事務作業を行ない、夕方6時に仕事が終わる。
娯楽も特にないので、午後7時頃には商店も閉まり、
9時にはみんな就寝するのだという。
これを聞いて、僕には絶対無理だ、と思った。
多分、自分には、台湾の方が性に合っている。
👆 午後1時に入った時は満席だったのに、
4時に帰るときはガッラガラ!
そのあくる日、以前、近江八幡宮へ日帰り旅行をした
あの植物園の館長と梅田で軽いランチをした。
そこで、このネパールと台湾の話をしたところ、
その館長(67歳/東大卒/植物研究ン十年)は、
数年後、君のお母さんが寝たきりになったら、
どうやって面倒を見るんだ、とか、今はまだいいが、
数年もすると足腰が言うことをきかなくなるぞ、
といった〝もしこうなったらトーク〟を繰り広げた。
「もしそうなったら、そうなったときに考えます」
と僕は答えた。
だって、
母が寝たきりになるかどうかなんて誰にも分らないし、
自分の足腰がどうなっているのかも知りようがない。
分からない未知の未来を、あーだこーだ推測して、
今を制限するなんて、全く以ってナンセンスだ。
未来に損害を被らないために、今こう対処しておく、
という考えは、自分は未来をコントロールできる、
という、ある意味、傲慢な思い込みから来ている。
そしてこの思い込みこそが〝愛への抵抗〟である。
なぜなら、明日、自分が生きているかどうかさえ
知ることができないのに、
未来をコントロールするなんて不可能だからだ。
今この瞬間の自分への抵抗をやめ、
そのままに委ねて〝今の大好き〟を実行することで
過去も未来も消えてゆく。
ていうか、これ全部、本当の本当に幻覚である。