👆 本当は真っ白なビルなのだが
夕日に映えて赤くなってみえる
奇跡講座のように、究極の真理を知ってしまうと、
ひとっ飛びに、これは夢だ、罪はない、と、
究極の真理へ向かおうとしてしまいがちだが、
意識が癒されていないのに、
いきなり神、なんて無理というものである。
だから先ずは、自分を癒すところから地道に始める。
お金、病気、仕事、人間関係、恋愛、容姿、性格、など、
僕達は、様々な悩みを抱えながら日々生活している。
そして、それらの営みは全て空間の中で起こっている。
空間で目にし、聞いたことを解釈して、ああでもない、
こうでもない、と言いながら、悩んでいるわけである。
いわば、いま自分の目の前にある空間こそが、
癒すべき自分そのものなのだ。
👆 家飲み。シャンパンと、干し柿と、いちご
(日本の果物、ホンマ、クソっ高い!)
奇跡講座にしろ、非二元にしろ、心の中を扱うスピは、
心の問題を、自分の意識の中だけで扱おうとしたり、
心の中だけを変えて、現実をよくしようとしたりする。
しかし、形のないものを、
形のない領域で解決しようとすると、
本当に解決されたかどうかが曖昧になり、
やがては思考と解釈の迷路に陥ってしまう。
別の言い方をすると、
見えている世界(外界)で起こっていることを、
見えない世界(心の中)へ持っていって、
自分の中の何が、このことを引き起こしているのか、
とやることで、罪悪の意識から抜け出せなくなるのだ。
そうではなく、この瞬間のこの空間が自分そのもので
癒すとしたら、変えるとしたら、赦すとしたら、
〝まずは〟この空間でなすしかないのだ、と気づき、
外に顕われた現象を、現実的にきちっと癒してやり、
心(意識)を〝得心〟(納得)させてやることが、
赦しを日常に落としこむ、ということになる。
それは例えば、職場で不当な扱いを受けた際、
きちんと相手に、それは違う、と言うことであったり、
一生懸命働いて、欲しいものを買うことであったり、
運動したり、筋トレしたりして、体を整えることだったり
負のパートナーシップを断ち切ることかもしれない。
または家の中の断捨離など、
それらを〝目に見える形で〟手放すことによって、
意識が癒され、消える準備が整っていったりする。
👆 初詣の伏見稲荷でおでんと甘酒
どんな天才ピアニストでも、最初は赤のバイエルの、
♬ ド・レ・ド・レ・ド~ ♪ からである。
いきなり〝神しかない〟ではなく、先ずは癒すこと、
そうやって、意識が〝ある程度〟癒されて初めて、
出てくる全ての想いを素通りさせることが可能になる。
これは本当に夢なので、深刻になる必要などない、
と、初めて抵抗をやめて、じっとしてられるようになる。
兄貴にすべてを委ねられるようになるのだ。