今年の年末年始のことを書こうと思うので、
季節感バグっておりますが、お許しを…。
というわけで、今年の正月は高槻の実家で過ごした。
(大阪市内からは電車で10分ちょいくらいの場所)
実家では、88歳の母が一人暮らしをしていて、
足腰も、頭も、しっかりしてはいるのだが、やはり、
物忘れは以前よりひどくなりつつあり、今回も、
やかんに火をかけたまま、お風呂に入ってしまい、
たまたま、僕が帰省していたからよかったものの、
これが母一人だったら、と思えばぞっとした。
普段は近くに住む妹が、様子を見に、
ちょくちょく実家に来てくれてはいるのだが、
これはもう、放蕩息子が故郷へ帰る潮時だな、
とも思い始めている。
実家では、母と、紅白を見ながら年越しそばを食べ、
箱根駅伝を見ながら、おせちと雑煮で正月を祝った。
あくる日の2日には、妹夫婦と、高2の姪もやってきて、
みんなでカニすきをして食べた。
そして、食後のデザート(ケーキとコーヒー)の時間に、
妹と、母のもの忘れについて雑談していた時、
「お兄ちゃん、最近、わたしも物忘れがひどいねん。
もう、自分でも怖いくらい、色んなことを忘れるねん。
毎日会ってる人の名前が思い出せなかったり、
いつも使ってる暗証番号が分からなくなったり、
この前は、カバンを持たんと家を出てきてしまった。
お母ちゃんはもう88歳やから仕方がないけど、
私まだ53やで。あんまり酷いから、いま家の事とか、
お金の事とか、手続き関係の書類をノートに整理して、
書き留めていってんねん」
と、妹が僕に打ち明けた。
「それとな、今、何か病気してるとかじゃないんやけど、
わたし、もう、そんなに先が長くない気がするねん」
とも言いだした。
聞けば、最近、あらゆることに対する執着がなくなり、
何をやっても、感謝や愛の気持ちが湧いてきて、
娘に小言を言っている時でさえも、それ自体が幸せで
もうこの世に何の未練もなくなってしまったのだという。
それでもう、この世は卒業、みたいに思えるのだと…。
「ひょっとして、最近、色んなことを忘れてしまうのは、
人生に対する執着がなくなってきたからとちゃうか。
いま起こってることだけで十分幸せやから、
しょーもないことを覚えてる必要がなくなったんやわ。
せやから、忘れることを恐れんでもええと思うで。
大事なことは絶対に忘れへんから大丈夫やって」
僕が妹にそう言うと、妹はひどく納得していた。
そうなのだ、忘れることを恐れる必要などないのだ。
記憶が別の何かに昇華されていっているだけである。
お年寄りの方々が、いろんなことを忘れるのも、
決してモウロクしているからではなく、執着が、
何か他の純粋なものに昇華された結果に過ぎない。
そして、妹とそんなことを語り合っている間、
妹の旦那や、姪や、母は、居間で、フジテレビの、
〝新春ぬるぬる階段〟を見ながら大笑いしていた。